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信じられるのは家族のみ

 翌日は午後2時のフライト予定だが、午前9時にはホテルを出て、何が間違ったバス停から、今度はしっかりと空港行きのバスに乗った。早めに出たのは今度ばかりは失敗が許されないからだ。

 空港のそば店で、簡単な朝食を済まし、何と2人、ガランとしたロビーで、ひたすら時間が経つのを待った。もう筆談するのも億劫なほど私は疲れていたのだ。

 何は、時々、詩織の名を出し、私に「頼む! 頼む!」の仕草をする。

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 考えてみれば、詩織は何にとって義理の妹にすぎない。その子どもたちを引き取って育てているだけでなく“殺人未遂”という忌まわしい罪から少しでも救おうと、2000キロも離れた日本までやってきた。その愛情というか心情は、どこから生まれるのだろう、と私はふっと思った。

 日本の筑波大学に留学経験のある、在東京中国大使館の書記官に聞いた話だが、中国人には「自家人(ツヂャレン)」という概念があり、それは非常に結束の強いもので、他人はなかなか入れてもらえないものだという。

 ご存知のように、中国の歴史は、戦乱の歴史でもある。その昔、権力者が代われば前の権力者に繫がる者は、庶民でも女子供でも、すべて虐殺された。そうした苛酷な社会の中で生き抜くには、騙される前に騙し、信じられるのは家族や血族以外にない。そのため、家族主義的超個人主義の「自家人」というものが生まれたという。

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 現在でも、地方に行けば、高い塀をめぐらした屋敷の中に大家族で生活している例があるし、中華料理のテーブルが丸いのも一族が分け隔てなく会食するためだという。その際、隣り同士で、こそこそ話をするのは厳禁で、テーブルの皆にわかるように大声で話すのがマナーだそうだ。理由は裏切り者を出さないためだという。そしてある地域の支配者となった「自家人」集団が、さらに巨大化したのが歴代の「王朝」なのだそうだ。そうした意味では北辺の貧しい農民工である何も「自家人」意識に衝き動かされて、見ず知らずの国にたったひとりでやってきたのかもしれない。