“女”からカネを引っ張るという“シノギ”
柳川市から遁走し、北九州市小倉北区の「熊谷アパート」(仮名)に身を潜めた松永は、“金づる”としていた山形さんの母親からの送金の道も断たれ、逃走資金をどうにかして捻出する必要があった。
とはいえ暴力団に追われ、さらには2つの事件で警察にも行方を捜されている(信用金庫の事件では93年6月に逮捕状発付。別の詐欺事件では95年7月に逮捕状発付。ともに指名手配)状況下では、目立った動きがとれない。松永の頭に浮かんだのは、彼がこれまで得意としてきた、“女”からカネを引っ張るという“シノギ”だった。
そこで松永が狙ったのは、彼が20歳のときに交際していた同い年の主婦・末松祥子さん(仮名)である。福岡県の筑後地方に住む祥子さんは、交際していた当時にワールドの事務所に出入りしていたことがあり、88年11月に別の男性と結婚し、91年10月に三つ子の女児を出産後も、松永にはたまに電話連絡をしていた。
「緒方が子どもを抱えて窮乏している」と現金を受領
後の公判での検察側の論告書は、松永が祥子さんに近づいた状況について、以下のように述べる。
〈被告人両名(松永と緒方)は、山形に代わる金づるとして、松永がかつて交際していた末松に着目し、緒方が子どもを抱えて窮乏しているなどと申し向けてその同情を誘い、これに付け込み、平成5年(93年)1月19日から同年4月2日までの間、前後4回にわたって、末松から長男の出産・育児費用等の名目で、現金合計240万円を受領した〉
論告書には〈緒方が子どもを抱えて窮乏しているなどと〉との表現があるが、松永が祥子さんに連絡を入れたのは、緒方が長男を出産する前であると見られている。松永は祥子さんに、緒方がワールドの事務員であると説明。緒方との内縁関係は隠しており、祥子さんは松永のそうした説明を鵜呑みにしていたことが窺える。
じつは当時、祥子さんは姑との折り合いが悪く、義母に対してなにも言ってくれない夫に対しても不満を抱いていた。そこに松永が甘い言葉を弄して付け込んだのだ。