起訴された案件だけで7人が死亡している「北九州監禁連続殺人事件」。
もっとも凶悪な事件はなぜ起きたのか。新証言、新資料も含めて、発生当時から取材してきたノンフィクションライターが大きな“謎”を描く(連載第47回)。
緒方との仲を疑い、顔を殴打された祥子さん
新たな“金づる”を求めた松永太に唆され、夫の元から飛び出し、三つ子の娘を連れて福岡県北九州市にやってきた末松祥子さん(仮名)。彼女は家出からわずか3カ月後の1993年7月に夫と離婚する。
同年8月には松永と緒方純子が、祥子さんが子どもたちと住む「横代マンション」(仮名)60×号室で同居するようになった。玄関脇の6畳間が松永の寝室、奥の4畳半は緒方とその長男の寝室、同じく奥の6畳間が祥子さんと三つ子の寝室だった。夫と別れたことで、松永と一緒になれると考えていた祥子さんは、松永に説明されていた通り、緒方を彼の会社の従業員だと信じていた。しかし祥子さんは、徐々にふたりの関係を疑うようになる。
その頃から松永による祥子さんへの暴力は始まっていたようだ。後の公判での松永弁護団による冒頭陳述要旨にも、以下のくだりがある。
〈祥子は被告人松永と被告人緒方の関係について、単に会社の上司と部下の関係ではないのではと疑うようになった。祥子は被告人松永の所持品や被告人緒方の所持品を勝手に開けて調べたり、夜中に被告人松永の部屋に来て、「緒方さんと関係あるのではないか。」とか「前の奥さんと逢っているのではないか。」と詮索することがあった。被告人松永は、そのように詮索する祥子の態度に怒り、祥子の顔を殴打するなどの暴力を振るうことがあった〉
松永弁護団による冒頭陳述であるため、当然ながらその内容は、松永による供述がベースとなっている。そのなかにおいても、祥子さんへの暴力の事実について認めているのだ。