起訴された案件だけで7人が死亡している「北九州監禁連続殺人事件」。
もっとも凶悪な事件はなぜ起きたのか。新証言、新資料も含めて、発生当時から取材してきたノンフィクションライターが大きな“謎”を描く(連載第48回)。
祥子さんが“自殺”するまで
福岡県筑後地方出身の末松祥子さん(仮名)は、松永太に誘惑され1993年4月に家を出て夫と離婚する。しかし、10月に連れていた2歳の娘(莉緒ちゃん=仮名)が北九州市で“事故死”してしまう。さらに本人もその5カ月後の94年3月に、大分県別府市の海に身を投げて“自殺”した。
松永は祥子さんの死に際して、関わりを追及されるのを避けるため、彼女の親族の名義で借りていた北九州市小倉北区の「三郎丸ビル」(仮名)40×号室を引き払う。そして4月上旬には、かねてより知人女性の名義で借りていた、同じ小倉北区の「東篠崎マンション」(仮名)70×号室に移り住んだ。
結婚している祥子さんに、松永がカネ目当てで近づいたのは93年1月のこと。つまり、それからわずか1年2カ月という短期間で、彼女の運命は大きく暗転してしまったということになる。
私は2002年6月に、娘と孫を失った祥子さんの父親・末松行雄さん(仮名)を取材した。末松さんによれば、祥子さんからは緒方の存在しか聞かされていなかったという。
娘と孫を失った祥子さんの父親・末松行雄さんの話
「(嫁ぎ先から)家出したとは(93年)4月でしたけど、その年の1月に緒方にカネば振り込んどったことは、あとで警察から聞きました。祥子は昔、不動産とか保険を扱う会社で事務員をやりよったとです。それで結婚して、旦那さんの実家で向こうのご両親と同居しとったとですけど、それまで離婚するやらの話は、まったく聞いていませんでした。家出してから、そういう話が出てきた」
父親である末松さんだけでなく、祥子さんの夫にも離婚の原因に思い当たることはなく、唐突にそういう話になったという。
「家出の前に1回、祥子に頼まれて20万円を振り込んだことがあったとです。でも、そのときは理由を言わず、ちょっと貸してほしいみたいな感じで、なにも疑いませんでした」
ただしその時期、彼女の夫から祥子さんが夜に家を空けることがあると聞いた末松さんは、娘を問い詰めている。