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「緒方さんいう可哀想か女の人がおって」

「夜中に出て行ったりしよったけん、そんとき、『我が子(三つ子の娘)を放り出して、どげんことをしよるとか?』と私が聞いたら、『緒方さんいう可哀想か女の人がおって』っちゅう話をしたんです」

 祥子さんは緒方について友達だと説明。職業などの詳しいことまでは明かさなかった。

「それで祥子は、『緒方さんは赤ちゃんが生まれたばかりやとに、おカネがなかけん、米の研ぎ汁ば飲ませようとよ』と話し、あまりに気の毒やから手助けが必要だと言いよったとです。あと、緒方の旦那さんが病気で、命がもう長うない。それで医療費が必要やとかなんとか……」

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 緒方が長男を出産したのは1993年1月のこと。もちろん、祥子さんが聞かされた話は事実ではない。あくまでも松永が作った、彼女の同情を誘うための“設定”である。だが、松永に対する恋慕が、そうした嘘を見抜けなくさせてしまっていた。

幼稚園勤務時代の緒方純子(1983年撮影)

連れ戻しに来られないように「別府にいる」

 役場に勤める祥子さんの夫との夫婦仲について、末松さんは話す。

「まあ、たまに夫婦喧嘩ばしたりすることくらいはあるでしょうが、仲は良かったですよ。少なくとも私たち(両親)は、仲良かって思いよったですけんね。婿さんが原因じゃないですね」

 祥子さんの家出については、夫からではなく、本人からの連絡で知ったようだ。

「5月初めごろにうちとこで××さん(神事)っちいうのがあって、そこに毎年来るとやけど、その年は来んかったと。それで何日かしたら、本人から『いま家出して別府(大分県)におる』っちゅう電話があったとですよ」

※写真はイメージ ©️iStock.com

 そこで彼女が3人(三つ子)の子どもを連れて家を出たことを初めて知り、末松さんは娘を叱っている。

「それはもう、なんしよっとかって。3人も子どもがおって生活できっとか(できるのか)ってね……」

 実際のところ、この時期の祥子さんは別府ではなく北九州市にいた。だが、連れ戻しに来られないようにするため、「別府」だと嘘をついていたのだろう。

「そしたら、『別府には湯治に来たごたるおじいちゃんおばあちゃんがいっぱいおるけん、(子どもは)可愛がってもらいよる』やら言いよりました」