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マンションを解約し、新たな住居へ

 この件では祥子さんと緒方が警察による事情聴取を受けている。その聴取では緒方が祥子さん名義で借りていた北九州市小倉北区の「東篠崎マンション」(仮名)30×号室に居住していると伝えており、“事故”現場となった「横代マンション」60×号室にも警察が足を踏み入れているため、両室ともすぐに解約し、祥子さんの親族の名義で新たに借りた同市小倉北区の「三郎丸ビル」(仮名)40×号室に11月5日から居住することになった。その際にふたたび不動産業者として仲介に携わったのは、後に監禁された少女の父・広田由紀夫さん(仮名)である。

 この「三郎丸ビル」は2DKの間取りで、松永は緒方と長男とともに6畳間で寝て、祥子さんはもうひとつの部屋で寝ていた。

幼稚園勤務時代の緒方純子

 94年になると、松永は祥子さんに通電による暴力も加えていたようだ。松永弁護団による冒頭陳述でも、そのことに触れる説明がなされている。

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〈被告人松永は、かかる祥子の(松永らの居室への)覗き見行為を怒った際や、祥子が被告人松永に「本当に緒方さんとは関係がないのか。」とか「(大分県)別府に住むから一緒に来てくれ。」とか言ってくるのをわずらわしく思った際など、同年(94年)3月までの間、その手足などに5回から6回程度通電することがあった〉

小学生時代の松永太死刑囚(小学校卒業アルバムより)

 はたして松永による祥子さんへの暴力はその程度のものだったのか。前記公判の検察側による論告書では、2002年3月に松永らが逮捕された際に押収された写真のなかに、祥子さんが写っているものがあったと説明。時系列で彼女の外見の変化を詳らかにしていた。少々長いが引用する。

美容院にも行かせてもらえず、身体に負傷

〈まず、548写真3(証拠番号のため以下略)は、表情の明るさや整った髪型、小綺麗な着衣等から判断して、比較的初期に祥子(実際は実名苗字)を写した写真と推測される。これに対し、前後の被写体の着衣から推測して平成5年(93年)夏ころに撮影されたと思われる写真では、祥子の左手に包帯が巻かれており、さらに、同年12月10日ころ撮影した写真には祥子の頬に痣らしきものが見え、同月24日に撮影された写真では、祥子は、ホテルの洋室の床に正座させられている様子である。

 

 また、平成6年(94年)1月19日ころ撮影された写真には、腕に痣のある人物が背後に写っているところ、この人物は、前後に写っている被告人両名の着衣と比較すれば、祥子であることが明らかである。そして、この痣は(広田)由紀夫にも同様のものが見られることから、やはり何らかの虐待による疑いが濃い。

 

 そして、同年2月23日ころに撮影された写真では、乱雑に切りそろえられた髪型をし、化粧気もない生気を欠いた表情で正座する祥子が写されている。

 

 以上の祥子の写真を見れば、少なくとも、祥子が、苦境にある被告人両名のために多額の現金を提供してくれた人間として丁重に扱われていた痕跡は皆無であり、むしろ、その身体の負傷状況や、ろくに美容院等にも行かせてもらえずにいた様子などからは、被告人両名が、種々の生活制限や虐待を通じ、祥子を支配していたことが認められるのである〉