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新たな隠れ家「東篠崎マンション」へ

 松永は山形さんが逃げ出したことで、これまでと同じ「熊谷アパート」に居住し続けると、追っ手に捜し出されるのではないかとの危惧を抱いていた。そこで、松永への“恋心”を蘇らせた祥子さんに頼み、同年4月に北九州市小倉北区にある「東篠崎マンション」(仮名)の30×号室を借りてもらい、新たな隠れ家とした。なお、松永は後にこのマンションの90×号室を借りており、同室こそが、2002年3月の逮捕直前に監禁していた少女(広田清美さん=仮名)への、監禁致傷の現場である。

 さらに、松永は祥子さんを唆して4月下旬に家出をさせ、生後1歳半の三つ子を連れて北九州市にやってきた彼女に、同市小倉南区にある「横代マンション」(仮名)60×号室を借りさせたうえで、親子4人で暮らすように仕向けたのだった。

※写真はイメージ ©️iStock.com

「離婚せんなら子供を道連れにして死ぬ。」と言わせて

 それまでに緒方の出産・育児費用として、約240万円を松永に渡していた祥子さんは、当初、家出をする際の資金はサラ金で借りていた。しかし当座の生活資金が足りなくなってくると、父親や夫に送金を頼むようになる。当然ながら、その背後にも松永がいた。先の検察側の論告書には次のようにある。

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〈被告人両名は、末松に指示して、前記240万円とは別に、子供の養育費等の名目で末松の実父や前夫にカネの無心をさせ、平成5年(93年)6月10日ころから同6年(94年)3月9日までの間に、同女がその実父や前夫から送金を受けた現金合計(約)1141万円を巻き上げた〉

 ここで〈前夫〉なる表現になっている理由は、前記公判での松永弁護団による冒頭陳述要旨に詳しい。

※写真はイメージ ©️iStock.com

〈当面の金が足りなくなると、祥子は夫に電話して送金を頼むと共に離婚の承諾を求めていた。すなわち、夫に対し、「離婚せんなら子供を道連れにして死ぬ。」と言い、結局、夫の××(本文実名)は祥子に自殺を思いとどまらせるために離婚を決意し、同年(93年)7月13日に協議離婚の届出をした。××(前夫)は、祥子から「3人の子を養うのに金がいる。」などと言われ、生活費に困ると思って、祥子の言うとおり送金した〉

 松永はここでも私欲のために家庭を壊し、狙い定めた女性の退路を断ったのである。

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 この凶悪事件をめぐる連載(一部公開終了した記事を含む)は、発覚の2日後から20年にわたって取材を続けてきたノンフィクションライターの小野一光氏による『完全ドキュメント 北九州監禁連続殺人事件』(文藝春秋)に収められています。

完全ドキュメント 北九州監禁連続殺人事件

小野 一光

文藝春秋

2023年2月8日 発売