頂点に登り詰めても慢心しなかったウンナン
ウッチャンナンチャンは1988年に始まったフジテレビ深夜のバラエティ『夢で逢えたら』で、ダウンタウン、清水ミチコ、野沢直子と共演し、ブレイクの足がかりをつかむ。1990年には、やはりフジテレビの『とんねるずのみなさんのおかげです』が半年間休止するにともない、その代役に抜擢された。こうして始まったのが初のゴールデンタイム(木曜夜9時)の冠番組『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!』である。これが人気を集めたため、半年後には土曜夜8時台に移り、『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』へと発展する。
こうして振り返ると、ほんの数年で一気に頂点に登り詰めた感がある。ここで慢心してもおかしくないが、彼らはむしろ自分たちの実力よりも世間は早く動いていると感じ、どこか怖くもあったらしい。『やるならやらねば』が決まったときは、南原によれば《これでコケたら芸能界じゃ終わりだと思ってました。でもそれを考え過ぎると動けなくなるから、あまり考えずに、一週一週をしっかりやることに集中》したという(※5)。
その後、彼らは30代に入っても『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(日本テレビ)、『ウンナンの気分は上々。』や『ウンナンのホントコ!』(いずれもTBS)など多くの冠番組を持ち、安定した人気を保った。『ウリナリ』では芸能人社交ダンス部、ドーバー海峡横断などのチャレンジ企画が人気を集め、また番組から生まれたユニットであるポケットビスケッツ、ブラックビスケッツのCDはミリオンを連発した。
出川は『充電させてもらえませんか?』で初の冠番組
一方、出川は、ウッチャンナンチャンがダウンタウンと共演した番組で、罰ゲームとしてジェットコースターに乗せられたのがウケたのを機に、何かにつけてリアクションを求められるようになる。その方向性は、プロレスラーと対戦するなどどんどんエスカレートしていった。これにともない「抱かれたくない男」などといったイメージも定着する。
しかし、内村が司会を務める『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ)で、海外に行って現地の人たちと片言の英語で会話するなどの企画に挑むようになったあたりから、風向きが変わり始める。2017年には初の冠番組『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』(テレビ東京)がスタート、電動バイクで各地を走りながら地元の人たちと触れ合う様子が好評で、一転して愛されキャラとしてブレイクする。