平成28年(2016)4月の熊本地震から約5年、熊本城は今春ひとつの節目を迎えます。天守が復旧し、4月26日から内部の一般公開が再開されるのです。城内の石垣は約30%が被害を受け、13棟の重要文化財建造物もすべて被災。まだまだ復興への長い道のりは続きますが、復興の象徴として堂々と建つ天守の姿を目の当たりにすると、胸に込み上げるものがあります。

復旧した天守(2020年12月14日撮影)。

全国的にも群を抜く、市民の愛着

 熊本を訪れたことのある人なら、熊本市民にとって熊本城がいかに象徴的な存在かわかるのではないでしょうか。全国各地で城は地域の象徴なのだと感じますが、熊本市での熊本城への愛着は群を抜きます。

 そもそも、熊本城は市民の熱意によって生き続け歴史を重ねてきました。明治10年(1877)の西南戦争による火災で焼失した大天守と小天守は、全国の天守の復元ブームよりも早い昭和35年(1960)に市民のはたらきかけにより復元されています。

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被災前の天守(2012年5月撮影)。
被災した国指定重要文化財の長塀も復旧している(2020年12月14日撮影)。

 復元の資料となったのは、軍が西南戦争以前に撮影させていた古写真です。陸軍駐屯地となって城郭の存廃処分で存城となった後も、西郷軍の猛攻に耐えた名城熊本城への保護の意向は強かったようで、明治22年(1889)の金峰山地震で崩落した飯田丸五階櫓の石垣や百間石垣など62カ所の石垣は陸軍によって修復されています。