ゲームというフィクションでしか実現できない、よりリアルな体験
ユーザーにリアルを体験してもらう、という点で、ゲームも映画も同じ場所を目指している。デジタルの技術は、その目的地に到達するための魔法のような力を秘めている。
ゲームの表現力は日々進歩し、映画と並び、やがて追い越していくだろう。かつては記号としてしか表現できなかったキャラクターは、フォトグラメトリなどの3Dスキャンやパフォーマンス・キャプチャーにより、現実空間で演技をする役者の動きや表情をデジタル空間に再現できるようになった。ライティングも物理計算によって自然に近いものを実現できる。背景やプロップも実物を制作し、それをスキャンするというプロセスに移行しつつある。これは、リアルな役者を使い、実物大のプロップを作る、アナログなリアル志向の実写映画と同じプロセスなのだ。
PlayStation 4向けに制作中のゲームソフト『DEATH STRANDING』では、ノーマン・リーダスやマッツ・ミケルセンたち実在するアナログな存在である役者をキャプチャーし、デジタルで再現している。生身の役者をユーザーが操作できるというのは、ゲームというフィクションでしか実現できない、よりリアルな体験だ。
ジェームズ・キャメロンのイノベーション
そういった意味で、ジェームズ・キャメロンの足跡は、ゲームや映画にとって偉大なものである。彼は物語のリアルのためにテクノロジーを開発することに誰よりも貪欲だからだ。『ターミネーター2』のモーフィング表現や、『アバター』での3D映像のために自ら3Dカメラを開発、それどころか海底探索艇の開発まで行っている。さらに『アバター』の続編シリーズでは、3Dメガネ不要の技術の開発を目指すとも報じられている。
キャメロンのようなイノベーターが進歩させたデジタルという架け橋によって、ゲームと映画は限りなく接近しつつある。やがて両者が融合して新しいエンタテインメントを生むだろう。
例えばVRの技術は、映画やゲームにつきもののフレーム(スクリーン)という制限からエンタテインメントを解放してくれるはずだ。映画もゲームも現状ではフレームからは自由になれない。いかに「その場にいるかのような」臨場感や没入感を演出しても、観客やユーザーはその映像の中に入ることはできない。あくまでもフレームで切り取られた平面の映像を見ているだけだ。
多くの映像作家が、そのことに不自由とジレンマを感じていたに違いない。実際に実績のある映画監督たちは、こぞってVR作品に興味を示しはじめている。アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥは今年(2017年)のカンヌ国際映画祭でVRの短編を発表し、リドリー・スコットも自分の制作会社にVR部門を設立した。キャスリン・ビグローもトライベッカ映画祭でVRの短編を発表した。
彼らは、映画の枠(フレーム)を超えた物語とリアルな体験を、デジタルという魔法の力で作ろうとしているのだ。