遺伝子操作、テロ、民族紛争 『猿の惑星』が描くもの
現実の三次元空間での役者の動作や表情をデジタルデータに変換して、CGで再現するパフォーマンス・キャプチャーが、言葉を喋り、感情を表現する猿をリアルに創造している。着ぐるみや特殊メイクの時代からさらに進化した技術で、実際には存在しない猿を創りだしたのだ。表情や動作、猿特有のシルエットはもちろん、筋肉や風などのシミュレーションを使い、体毛の一本一本の動きまで綿密に表現されている。三部作を通じて、これらの技術は洗練され磨き上げられているが、これはVFXを担当したWETAデジタルのメンバーの熱意の賜物だろう。彼らが「嘘(フィクション)の猿」にリアルな生命を吹き込んだといっても過言ではない。
もちろん、ストーリーやテーマも素晴らしい。
三部作が扱うのは、遺伝子操作とテロや民族紛争だ。『創世記』では、アルツハイマー病治療のために開発された新薬が猿に知性をもたらす顛末と、人類を襲うパンデミックが描かれ、続く『新世紀』では、人類と猿の共存の模索がモチーフになる。ここでは、猿と人間という異なった種族間のコンフリクトだけでなく、同じ種族内での争いまでが語られる。「エイプ(猿)はエイプを殺さない」という掟を掲げたリーダーのシーザーが、猿の共同体を守るため、仲間に手を下す。
「我々の惑星」の物語になっている
『聖戦記』は、その2年後を描く。人間との争いを嫌ったシーザーは仲間を率いて森の奥に身を隠しているが、猿の殲滅を掲げた「大佐」が率いる人間の軍隊に襲われ、妻と息子を殺される。シーザーたちを襲った軍隊には、かつて仲間だったゴリラの“ドンキー”なども従属していた。猿と人間の異なる種の抗争ではなく、同じ仲間(種)が群れに別れ、殺し合いをする泥沼が描かれている。
シーザーは復讐の鬼と化し、仲間と別れて、「大佐」を追う旅に出る。その個人的な動機が、新たな紛争の火種を呼ぶ。
シーザーたちは旅の途中で口のきけない人間の少女ノバに出会い、さらに動物園で飼育されていたチンパンジーと出会う。人と猿の混じったこの小さな集団も、現代の世界状況を写している。さらに「大佐」の行動は、人間陣営の意思を代表しているのではないらしいことがわかってくる。大佐も「国家」の人間ではなく「群れ」を率いている。
これは、民族や宗教の対立に根ざした紛争が世界中で起きている現代の状況そのものだ。猿も人間も入り乱れた群れ同士の衝突を、デジタル技術を駆使してスクリーンに出現させ、現代のリアルな紛争を体感させる。
さらに、人間が作った遺伝子治療の薬品が発端だったという皮肉も効いている(前シリーズは、時間を遡るというSFのギミックだった)。現代のリアルな「我々の惑星」の物語を、この三部作は、デジタルという最先端のテクノロジーによって、圧倒的な説得力で示してみせたのだ。