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 戦国時代の分国法、たとえば陸奥の伊達氏の『塵芥集(じんかいしゅう)』では、密通の現場を押さえた場合、その場で2人とも殺すことは許されていた。妻は殺さないで、男だけ殺すというのは認められない。これは刀をつねに携行している武士に対する定めであったが、時をへて町人や農民にも適用されて、『御定書』ができた翌年に追加条項として定められたのである。

 なお、喜右衛門は密通した2人を切り殺した点では無罪であったが、別件で処罰されている。彼は酒野谷村の甚兵衛の娘せきを妻にもらい受けながら、人別帳には「下女」と載せ、息子作平は出生届けすらしていなかった。このことが判明し、「不埒(ふらち)」として5貫文の過料を命じられた。子までなした女房を下女と届けていた喜右衛門の扱いように、せきが密通へとはしる動機があったのかもしれない。

世間体を考えて妻の不倫を見逃す場合も

 それにしても無罪になるとはいえ、密通した妻と間男を夫が殺害することは、現実にはめったに起きなかった。先のキセル絵職人の事件と同じ頃の1816年(文化13)に成立した『世事見聞録』に、こんなことが書かれている。

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「元来、右のような(不義密通を働く)不届き者は折檻するか斬り捨てるべきなのに、最近はそんなことをすると、自分の身の瑕瑾(傷)になるので、何もしなくなってしまった」(「武士の事」)

(写真はイメージ)©iStock.com

 と、文化・文政時代の軟弱化した時代風潮を憂えている。さらに、

「今の時代は(不義密通が)露顕しても、寝取った者より寝取られた男の恥辱となる。人の妻を犯すような者はだいたいが不埒者なのに、何か手柄をしたような具合になっている。また寝取られたほうは多少とも身分のある者なので、今後のことを考えて、世間に知れぬよう穏便にすませようとするのが、最近の風潮である」(同前)

 密通された夫が世間体を考えて妻の不倫を見逃すという、現代でも有り得ることである。

江戸の色ごと仕置帳 (集英社新書)

丹野顯

集英社

2003年1月22日 発売