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“師匠の妻”と不倫した奉公人は「斬首され、首が刑場に3日間晒される」《日本の“不倫の罪”はどう変化したか?》

『江戸の色ごと仕置帳』#2

2021/04/17

genre : ライフ, 歴史, 読書

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 鎌倉の武家政権は武士にかぎってのことだが、初めて他人の妻との性関係を犯罪と定めた。この処罰は財産刑・自由刑としてずいぶん重い。またこの条文の後半部には、「路上で女を捕まえて手込めにした御家人は100日間出仕を停止し、郎従(ろうじゅう)以下の者は片方の鬢髪(びんぱつ)を剃り落とす」と、レイプ行為に対する処罰も明記している。

不倫の罪はいかに変化していったか?

 鎌倉時代の鎌倉などの都市では密通やレイプ、勾引(かどわかし)などの犯罪が横行し、こうした処罰を行なわないと社会の安寧を確保できなかったのである。これまでなかった性的犯罪に対する刑罰が、武家法の中に取り込まれた。

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 江戸時代になると、『御定書』の「密通」の刑罰は明解で、密通した男女は死罪である。さまざまなケースに従って、処罰の軽重は上下する。一方、明治時代の「姦通」では、

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「有夫ノ婦姦通シタルトキハ二年以下ノ懲役(ちょうえき)ニ処ス其相姦シタル者亦(また)同シ 前項ノ罪ハ本夫ノ告訴ヲ待テ之ヲ論ス但本夫姦通ヲ縦容シタルトキハ告訴ノ効ナシ」(刑法第一八三条)

 と、死刑ではなく、2年以下の懲役になった。あくまでも夫が告訴することを前提としている(現行法では削除)。さらに昭和の敗戦後は、夫や妻の不倫や浮気は、「民法」のうえでは「不貞な行為」として別居や離婚の理由にはなっても、「刑法」上の犯罪行為として処罰されなくなった。不倫に対して寛容な時代になったといえる。