知的刺激に溢れ、また気持ちをのびのびとさせてくれる本である。人類学者、小説家、美学者という三人が短いエッセイをリレーしていく形式で、このコロナ禍の状況に対して創造的な距離を取った考察を紡いでいる。ここにあるのは気詰まりなソーシャルディスタンスではなく、いわばクリエイティブディスタンスである。
世間では感染拡大をいかに抑えるかという公衆衛生の実際的な話で持ちきりなわけだが、ときにはちょっと違う視点を取ることも必要ではないか。それは端的に言って逆転した視点で、ウイルスをたんに敵視するのではなく、むしろウイルスとの「共生」を考えること、またそこから広げて、様々な他なるものとの対等な関係性へと思考を展開することである。ウィズコロナという言葉もあるが、重要なのは、この新しい状況でどう生き延びるかだけでなく、今改めて、我々にとって「共生」とはどういうことかを深いレベルで問い直すことである。
伊藤氏、奥野氏の考察は、支配・被支配の二元性を超えた、あるいはその手前での、他なるものとのフラットな関係を積極的に考えようとするものだ。障がいの研究や人類学のフィールドワークを例にしたその説明は説得的で、読むほどに心身が解放されていくかのようなのだが、そこに、そうした議論に共感しながらも、むしろ人間同士の対立や、拭い去れない否定的なものへの問題意識を示し続ける吉村氏の立場が加わることで、全体が絶妙なバランスになっていると思った。
ヒエラルキーや対立にもとづく思考ではなく、より創造的な、縦横無尽に広がっていく新たな関係性を考えることが重要だというのは評者も深く共感するが、しかし同時に、それが楽観的な思想にならないように、という警戒心も持っている。吉村氏のスタンスにも近いものを感じた。おそらく必要なのは、解放的な方向に向かいながらも、同時に「否定性の思考」を手放さないことなのだと思うのだ。
新たな共生の可能性を考えるという課題は、否定性とは何か、とくに人間が人間に対して抱く否定性とは何かを改めて考えることでなければならないだろう。それは、思考のモードを創造的な方へ向ければ乗り越えられるものではおそらくないからだ。我々人間は何らかのかたちで否定性と付き合い続けなければならない運命にあると評者は考えている。
誰もが誰もを愛するようにはならないだろう。そうならないから、人間は人間なのであり、そこに人間的創造性の秘密があるのではないか。だがそうだとしても共生が可能なのだとしたら……という難しい問いに向き合う必要がある。それがこれからの思想の重要なテーマになるだろう。それは、否定性の乗り越えというスローガンよりも難しいことなのだ。
おくのかつみ/1962年生まれ。ボルネオ島狩猟民プナンと共に学ぶ。
よしむらまんいち/1961年生まれ。2003年『ハリガネムシ』で芥川賞受賞。近著に『流卵』。
いとうあさ/1979年生まれ。専門は美学・現代アート。著作に『手の倫理』など。
ちばまさや/1978年、栃木県生まれ。哲学者。2019年『デッドライン』で野間文芸新人賞を受賞。著書に『勉強の哲学』など。