夕暮れ時、電車の車窓に映る集合住宅の明かりを眺めるのが好きだ。その琥珀色の光の向こうで暮らす人々の姿を想像するのが好きなのだ。リビングで繰り広げられる家族の物語を、その窓の数だけあるはずの日常を想像しながら、凄い早さで流れていくコンクリートの建物を、次々と目で追い続ける。
幸せな暮らしだろうか、それとも悩みの多い暮らしだろうか。風になびく洗濯物の隙間から、わずかに見えたサッシの窓。ベランダに置き去りにされたままの植木鉢。蛍光灯の白くて強い光は、きっと家族での暮らしだろう。ペンダントライトの淡い光は、若いカップルかもしれない。閉ざされたカーテンと開け放たれたままのカーテンは、同じ建物のなかの様々な暮らしを表しているように見える。
明かりの数だけ人生がある。それぞれが、それぞれの空間で暮らし、働いている。一生、巡り会うこともない、私のことなどこれっぽっちも知らない人たちの前を、ただ通り過ぎていく電車のなかで、いつか彼らと話をしてみたいと思う。
本書は、巡り会えずにいる人たちの言葉を聞きたい、暮らしを目撃したいと考える私の願望を叶えてくれる一冊だった。コロナ禍の闘いの日々を綴ったのは、実に様々な職種に就く77人で、ただただ、読ませる。なぜこんなにも面白いのだろう。なぜこれほどまで引き寄せられるのだろう。ページをめくる手が止まらないのだ。新型コロナウイルスの影響が連日テレビで報道されてはいたが、報道特別番組よりも有益な情報は本書にあると言っていい。なんという臨場感、なんという生々しさ。自分でも、これほどまでに没頭して読んでしまう、その理由がよくわからないでいる。そして読んだあとに、書き手との距離が近づいたように感じられるのが不思議である。
遠いどこかの田舎の町で、大都会の片隅で、誰もが経験したことのない暮らしを強いられていた人たちがいた。その確かな事実を読者に突きつける一冊だとも言える。理不尽なものごとに腹を立て、怯え、悲しむ人たちがいた一方で、いつもと変わらず淡々と日々を過ごす人もいた。そんな様々な時間が、ただひたすら行間から立ち上ってくる。ページをめくればめくるほど、書き手の体温が伝わってくる。至るところに、私が目を離すことができない、明かりの灯った窓がぽっかりと開いている。
次の波が来たとき、私が目撃する風景はきっと変わっている。マスクをし、なるべく短時間で買い物を済まそうと立ち寄るスーパーで、コンビニで、ドラッグストアで、私はそこで働く人たちの暮らしに思いを馳せるに違いない。そんな力を持つ一冊だった。
何に対しても私と関係ないって思ったら終わりじゃん?
本書を閉じ、表紙をまじまじと眺めながら、思わず口にした。
寄稿者の職業/パン屋・書店員・ごみ清掃員・タクシー運転手・留学生・ホストクラブ経営者・教師・客室乗務員・介護士・ドイツ在住イラストレーター・夫婦問題カウンセラー・落語家・歯科医・イラン観光業ほか。
むらいりこ/1970年、静岡県生まれ。翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』など、著書に『犬(きみ)がいるから』『兄の終い』など。