――ソウルに上京してからは、そのまま監督業へと邁進していったのでしょうか。
ユン・ダンビ まずソウルの大学で映画について勉強したあと、少しの期間ですが撮影現場で経験を積み、また大学院に進学し勉強を続けました。大学でももちろん多くを学びましたが、それ以上に、様々な国や年代の映画を見ることで学んでいった部分が大きいですね。当時はシネマテークなどでいろんな映画を見ることができましたから。
子供とも大人ともいえる微妙な年齢
――『夏時間』の主人公オクジュは、子供とも大人とも言える微妙な年齢ですよね。映画のなかで彼女の年齢にははっきりと触れてはいなかったと思うのですが、監督は、彼女の年齢設定をどのように考えていたのでしょうか。
ユン・ダンビ おっしゃるように映画のなかでは具体的な年齢は出てきませんが、数え年で17歳という設定で考えていました。オクジュは家族のなかで唯一の観察者です。もしこの映画が、オクジュではなく父親を中心に置いていたら、彼はあまり細かいことを気にしない人間ですから、まわりを観察したりせず小さな出来事はさっさと通り過ぎていったかもしれません。弟のドンジュを主人公にしていたら、幼すぎて、いろんな物事を理解できないままだったでしょう。敏感で鋭く、不安定さもある。私はこの映画で、そうしたオクジュの感受性を通して家族と世界を見つめようと決めました。そのためには、子供と大人の端境期ともいえるこの微妙な年齢がぴったりでした。
――おもしろいことに、大人たち(父親や叔母)の方が、オクジュよりもずっと子供に見えます。
ユン・ダンビ 大人は子供たちの保護者ですが、一方で、彼らもオクジュと一緒に成長しているんです。あるときはオクジュの方が大人に見えるけれど、あるときはお父さんたちの方がずっと成熟している。大人もまた成長の過程にあるんですよね。
見た人が自分の過去も振り返れるようにしたかった
――物語のなかで、両親の別居の理由や父親の財政状況などは曖昧には示されますが、はっきりと言葉で説明はされません。やはり、これがオクジュの視線で描かれた物語だからでしょうか。
ユン・ダンビ この映画をつくるうえでもっとも重要だと考えたのは、家族の関係を映すことでした。父親が靴を売って生計を立てていたり、叔母さんが友達の家に居候していたり、彼らの状況を理解するためのシーンはいくつかある。でもそれは家の外からやってくる事件の存在が重要だったからで、ただ説明的なシーンにはしたくありませんでした。両親の離婚理由や家族関係などを明確に描かなかったのは、登場人物の動向を追うだけの映画にはしたくなかったから。具体的に物事を描きすぎると、観客は他所の家を覗いているような感覚になってしまう。曖昧さを残すことで、見た人が自分の過去も振り返れるようにしたかったんです。