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SSRIの副作用による“狂暴化”と死刑回避
アメリカの事情に詳しい専門家によると、
「アメリカでは明るくて快活な子供が理想的とされ、ちょっと落ち込んだり暗くなった子供にも、このSSRIを飲ませちゃうんです」
それほどの秘薬だった。
それが遅ればせながら、日本へやってきた。国内で認可がおりて発売されるようになったのは、99~2000年頃のことだ。
もっとも、それ以前から、個人輸入や医師の処方によっては、国内で認可されなくても服用が認められてきていた。潜在的には、どれほどの日本人がこの薬を頼ってきていたか知れたものではない。
ところが、裁判員制度の導入を前にした2009年春頃になって、この薬を服用したことが影響して、犯罪を引き起こした事例が増えているとして、厚生労働省が本格的な調査に乗り出したのだ。それも人殺しや放火といった、それこそ裁判員制度の対象となる事件が多い。しかも、大阪池田小学校児童殺傷事件(01年6月)の宅間守も呑んでいたと伝えられれば、それこそ穏やかではない。認可した厚生労働省が慌てるのも無理はない。
しかしだ。ぼくに言わせれば、なぜ今ごろそんなことで大騒ぎするのか、不思議でならない。
だって、このSSRIの副作用によって“狂暴化”したと認められ、しかもそれによって死刑が回避された裁判が、もう既に日本にあるのだから。判例として、ちゃんと残っているのだから。
その裁判も、ぼくは見てきた。
そもそも、その事件が起きたのも、日本でSSRIが発売される直前の99年7月のことだった。