昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2021/03/05

ご当地レスラースーパー・ササダンゴ・マシンの誕生

――それでもう、レスラーとしては終わりと決めていたんですか。

ササダンゴ 実は引退試合をした後楽園ホールに、お客さんがパンパンに入って。鈴木みのるさんに相手をしてもらったんですけど…。もうやり残したことはないぞ、新潟から父も観に来てくれて、「これで全部やり切った、よし帰ろう」と思っていたのに、最後の最後でめちゃくちゃ良い興行になっちゃったんですよ。それで逆に心残りが出てきてしまって。復帰への布石がそこで打たれた感じです。

©️文藝春秋

――新潟に戻られてからの生活は、どう過ごしていたのですか?

ササダンゴ いざ新潟に帰ってみると、思っていたよりも全然、時間に余裕があって。そんなとき、2012年にDDTが武道館で興行をやったんです。僕、現役時代にずっと「日本武道館で興行やりたい」って言っていたんです。高木さんがそれを覚えていてくれて、「武道館でやるから、1日だけ復帰しないか」って言ってくれて。念願だったこともあったし、「それはしょうがないですね」みたいな感じで、ゲスト出演くらいならいいかなと思って(笑)。

――最初は限定的な復帰だったのですね。

ササダンゴ ちょうど同じ時期、全国各地で“ご当地プロレスブーム”が生まれていたんです。そんなこともあって、新潟にも『新潟プロレス』っていう団体があった。それで武道館に向けて練習するところがなかったんで、そこを紹介してもらったんです。スポーツジムに行く感覚で、隣町のショッピングセンターの倉庫に行くと、プロレス好きのおじさんが集まって受け身の練習をしているんですよ。そこで初めて、「日常生活と地続きのプロレスもあるんだな」ってちょっと思ったんです。

――そしてDDTの武道館興行が終わって、また日常に戻る…はずだった。

ササダンゴ 本当はもうプロレスやらなくていいんですけど、そのまま新潟プロレスの道場に練習しに行っていたんです。そしたら月1回とか、老人ホームのイベントや近所のお祭りに呼ばれるんですよ。両親も武道館の時に「1日だけだぞ」って言っていたので、バレちゃマズイ(笑)。でも「ご当地レスラーっぽい覆面かぶれば大丈夫かな」って思って。新潟のご当地の笹団子をモチーフにした「スーパー・ササダンゴ・マシン」として試合に出ることにしたんです。最初は、身バレ防止策のためのマスクで。

新根室プロレスのアンドレザ・ジャイアントパンダとの一戦 ©️getty

――意外とバレないものなんですね。

ササダンゴ いや~でもさすがに半年くらい経った時にDDT時代の後輩が気づいたらしく、たまたま会った時にボソっと「坂井さん…プロレスやられてますよね?」って言われて。その時は「いやいや、やってない」って言い張ったんですよ(笑)。「絶対違う!」って。でも、ちょうどそんなタイミングでDDTが新潟に巡業で来て、スーパー・ササダンゴ・マシンにオファーが来たんです。

――古巣との対決となると…バレますね…。

ササダンゴ そうなんです。別の人間にマスク被せて出てもらおうかとも思ったんですけど、体格が違いすぎて無理で。それで結局、自分で試合に出た。正体はバレバレでしたけど、素顔も出さず、声も発せず、なんとか静かにやり過ごして。まぁでも、その1回で良くも悪くもDDTへの禊もできたし、これで終わろうと思ったんです。