田中将大、楽天復帰――。名門ヤンキースで活躍し、日米通算177勝を挙げた“エース”が8年ぶりに日本のマウンドに帰ってきた。公式戦で躍動する姿を今から心待ちにしているファンも多いだろう。
そんな田中将大もルーキー時の公式戦デビューでは2回57球6失点……。“プロの洗礼”を浴びせられ、その後の数戦も鳴かず飛ばずな投球内容が続いた。しかし、当時楽天の監督を務めていた野村克也氏は「田中将大は球界を代表するピッチャーに成長する」と確信していたという。はたして、不甲斐ない結果だったにもかかわらず、なぜそのように確信することができたのだろうか。野村克也監督の名言をまとめた書籍『頭を使え、心を燃やせ』(プレジデント社)を引用し、活躍を確信した理由を紹介する。
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開き直りとやぶれかぶれは違う
「開き直ったのがよかった」
選手がよくいう。監督やコーチもピンチになると「開き直れ」とアドバイスする。
たしかに開き直ることはとても大切だ。私もそう思っている。
しかし、「開き直り」という言葉を誤解している人は意外に多いのではないか。たんなるやけくそや、やぶれかぶれ=開き直りだと勘違いしている、もしくは混同している人はかなりいると私は見ている。
「開き直り」とはどういう意味か。私はこう考える。
できうるかぎりの準備を尽くしたうえで事に臨み、それでも追い詰められたとき、覚悟を決めて自分のすべてを出し切り、燃焼し尽くすこと──それが「開き直り」である。
「人事を尽くして天命を待つ」と言い換えてもいいだろう。
これに対して、なんの準備も考えもなしに、ただ行き当たりばったりに行動した結果、どうすることもできなくなり、一か八かの賭けに出ること。それを「やけくそ」「やぶれかぶれ」という。「あとは野となれ山となれ」ということだ。
日ごろの勉強、研究、練習、創意工夫、努力の裏づけのない開き直りは、やけくそ、やぶれかぶれにすぎない。たとえいい結果が出たからといっても、それはたまたまのことであり、偶然にすぎないのだ。
その意味で、運は自分で引き寄せるもの、切り開くものだともいえる。
しっかりと準備して打席に臨む大切さ
当たり損ねのボテボテの打球が野手と野手のあいだに飛んだり、凡フライがポテンヒットになったりすることがある。これらは「ラッキー」でかたづけられてしまうことが多いが、打球がそういうところに飛ぶのは、必ずしもツキばかりとはいえないと私は思っている。しっかり準備して打席に臨んだからこそ、読みを外されてバットの芯しんでとらえることができなかったときでもヒットになる確率が高くなるのだ。
運を呼び込める選手は、そうやって出塁したときでも「ラッキー」ですませることなく、「なぜ打ち損なったのか、どうして読みが外れたのか」と自問し、反省する。「次はこうしよう」と対策を練る。そういう作業が運を引き寄せるのである。