三振したり、KOされたりしたとき、どんな顔をしてベンチに帰ってくるか──私がその選手の将来性を判断する際に用いていたひとつの判断基準だ。
へらへら笑って戻ってくる選手はまるで見込みがない。悔しさを前面に見せる選手、「負けてたまるか」と闘争心をたぎらせる選手は期待できる。私の経験上、まず間違いはなかった。
ベンチで悔し涙に濡れる田中将大
田中はどうだったか。むろん、後者だった。顔を真っ赤にして戻ってきて、ベンチで悔し涙に濡れる彼を見て確信した。
「この子は楽天を、いや球界を代表するピッチャーに成長する」
田中はこの経験を糧にシーズンを通して投げ切り、11勝7敗、防御率3.82の成績を収め、新人王に輝いた。
負けること、失敗することは、たいした問題ではない。問われるのは、その現実をいかに受け止めるか、なにを学び、どのように活かすかだ。
「こんな悔しさはもう味わいたくない」と強く思えば、なにがいけなかったのか、自分に足りないものはなにか、次はどうすればいいのか、徹底的に考えるだろう。いや、考えざるをえないはずだ。その人間が伸びるかどうかは、悔しさをバネにできるかどうかが非常に大きいのである。
盛りを過ぎた選手や伸び悩んでいる選手を何人も蘇らせたことで、私は「野村再生工場」の異名を頂戴したが、これも選手たちの悔しさと闘争心を引き出したからだ。
彼らは球団を放り出されたり、見限られたりしたのだから、悔しさを胸に秘めている。「絶対に見返してやる」という闘争心を抱いている。そこを刺激して火をつけ、あとは足りないものを教えてやればいい。
再生の源となるものもやはり、闘争心なのである。
闘争心をもっていなければ、いくら力が残っていても再生はありえない。闘争心なき者に、成長はないといっても過言ではないのだ。