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出所後のバラ

 この刑を終えたバラの出所を出迎えたのは、妻と舎弟の“ジャッキー”こと長岡宗一、それに浄土真宗本願寺派の高僧で、札幌真照寺(しんしょうじ)の住職である松本昇典だった。

 住職は札幌刑務所で教誨師もつとめていた。“サムライ坊主”の異名があり、柔道五段の豪快な人物で、受刑者たちからの人気は高かった。

 住職の前に出ると、荏原はそれが生来のものなのだろう、何より礼儀正しい男となった。住職から「膝を楽にして」といわれるまで、決して正座を崩そうともしなかった。

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 それでいて、住職が顔を見るたび、「ヤクザの足を洗え」と更正を促すと、

「いやあ、先生、私はもう頭のてっぺんから足の爪先までどっぷりこの世界に浸ってしまった人間ですよ」

 と、照れたような笑いを浮かべるのがつねだった。その実、住職は愚連隊の顔に隠されたバラの心根のやさしさを知っていた。子ども好きのバラが、寺に遊びに来る子どもたちから好かれ、慕われている様子は、見ていて大層微笑ましく感じられたものだ。

日ごとに募る他組織との軋轢

 そんなバラが、北海道きっての大親分と謳われた会津家の小高龍湖の実子分となるのは、それから間もなくのことである。

©iStock.com

 松本住職はじめ、道内の錚々たる親分衆の取り持ちがあったためだった。

 道内の親分衆にすれば、厄ネタといわれるバラをいつまでも愚連隊として放置しておくことは、厄介このうえなかった。いつ自分たちに牙をむいてくるかわからなかったからだ。

 それならいっそ北海道のドンである小高龍湖のもとへ預け、しっかり監督してもらえば、いくらバラであってもそう悪さはできないだろう──という各親分衆の思惑が一致した結果だった。

 しかも、ただの若い衆ではなく、実子分──それも多分に小高の跡目という意味あいを含んだ実子分として迎え入れられたのである。破格の待遇といってよかった。

 だが、名門テキヤの看板を背負っても、バラの生きかたがそう簡単に変わるはずがなかった。そのスタイルは、依然として愚連隊の流儀そのままだった。

 バラはそのころ、強引とも思えるやりかたで、札幌市内のパチンコ店の景品買いの利権を次々に手中に収めていた。それが可能だったのは、“雁木のバラ”の名と力を、皆が恐れたからだが、そうした力にモノをいわせたやりかたがいつまでも通用するわけがなく、他組織の者と正面からぶつかるのは時間の問題といえた。