街の灯影に 背中を向けて
一人ふかした 煙草のにがさ
渡る世間を せばめてすねて
生きる男の 身のつらさ
こんなやくざに 誰がした
(作詞:石本美由起、作曲:宗像宏、編曲:上原げん斗)
当時のバラの心情に、ピッタリとフィットする歌であったのだろう。
ともあれ、昭和31年に入ると、札幌制覇の野望に燃えて強引に事を押し進めようとするバラと、他組織との間の軋轢はいよいよのっぴきならないものになっていた。
2月16日、バラはいつもと変わらぬ朝を、雁来町の自宅で迎えた。
“雁木のバラ”と恐れられた男も、家庭人としてはよき夫であり、二人の子のよき父親であった。
のちにバラ殺しの裁判が行われたとき、出廷した妻が、
「荏原は人に嫌われたかも知れませんけど、家に帰ってきたらとてもいい夫でしたし、父親としても文句なしでした」
と証言、被告のヒットマンの涙を誘ったものだ。
「とどめだ! とどめをさせ!」
この日、バラが舎弟とともに自宅を出たのは、午後2時をまわったころだった。この晩、松本住職と会う約束があり、それまでススキノをぶらついて時間を潰すことにしたのだ。
だが、二人がススキノの南四条西二丁目のビリヤード店に入って間もなくしたころには、店は敵の襲撃部隊によってすっかり包囲されていたのである。
バラと舎弟が店から出たとき、この襲撃部隊はすばやく行動に打って出た。まず先発部隊の襲撃者によって硫酸を浴び、日本刀で左手を斬られた舎弟が、たまらずその場に倒れた。
バラはひとまずその場から逃れようと、店から1丁離れた南五条西一丁目の「ジャンジャン横丁」のほうへと走った。
ヒットマンもすぐさまそのあとを追った。バラが「ジャンジャン横丁」入口の酒場前にさしかかったとき、ヒットマンのS&W45口径の銃口が火を噴いた。
「パーン!」「パーン!」という二発の銃声が、雪のちらつくススキノの空に、立て続けにこだました。
一発はヒットマンの撃った銃声、もう一発はバラが放ったものだった。
次の瞬間、バラの体がまるで海老がはねるようにピョーンと飛びあがり、雪の上にドサッと倒れた。ヒットマンの放った銃弾は、間違いなくバラの腹を貫通したのだった。
が、続いてヒットマンも、「ううっ」とうめいてその場に崩折れそうになった。バラの撃ったコルト22口径の銃弾も、ヒットマンの右足を貫通していたのだ。
「とどめだ! とどめをさせ!」
後方襲撃部隊から声があがり、日本刀を持った別の刺客二人が、バラに一歩一歩近づいていった。
このときの刺客の一人が、当時のことをこう振り返ってくれたものだ。