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「息子に与えられるものは“震災”と“原発”」震災後に東京キー局記者が福島に移住して得たもの

「息子に与えられるものは“震災”と“原発”」震災後に東京キー局記者が福島に移住して得たもの

TBSを辞めた記者#2

2021/03/10

genre : ニュース, 社会

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海が好きな息子

 2017年12月、木田家は3人になった。年が明けてから生まれる予定だったが、生き急ぎがちの両親に似たのか、ひと月ほど早い出産であった。決まり文句のように言われがちな「母子ともに健康」ということのありがたさを、身をもって知った。

 息子の誕生日は、父の命日の前日であった。人生で最も辛かった日の前日が、必ず祝福の日となることは、私にとって大きな救いである。

息子が生まれた朝の空 (筆者撮影)

 不思議と息子は、海が好きである。大きな音は怖がるのに、波の音には引き寄せられていく。言葉を覚える前から、寄せては返す波を見つめ、歓喜の声を上げた。海沿いをドライブすれば、降りると言って聞かない。

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 相馬の原釜尾浜、青森の鯵ヶ沢、山形の西浜……。東北のいろんな海を歩いたが、彼がとびきり好きなのは、いわきの薄磯である。

息子が気に入っているいわき薄磯の海 (筆者撮影)

 いわきに行けば、夏でも冬でも、少しの時間があれば薄磯に立ち寄る。遠浅の白い砂浜と透けるような青の海は、福島で最も美しいと言われている。遠くには塩屋埼灯台を望み、いわきを代表する観光地でもある。

失われた街の上にできつつある、新しい街

 薄磯は、8.5mの津波が押し寄せ、ほぼすべてが流された街である。122人が亡くなった。その後、途方もない高さの防潮堤が整備された。失われた街の上に防災緑地が造成され、新しい街ができつつある。

津波で甚大な被害を受けた薄磯 ©共同通信

 かつて、この海が大きく姿を変え、人や街を奪ったことを、彼はいつか知るだろう。それもまた、生きていく上で大切なことである。

「ざぶんざぶんするから、好き」

 海を愛する理由を、息子はそう説明する。原体験の中に、この美しい海が刻み込まれていることは、とても豊かなことだと思う。彼が波にさらわれないよう、手をつなぎながら、海のない町に育った私はそんなことを考えていた。