東北から問う3月
震災は、3月に起きた。だから3月に伝える。
この間に、どれほど被災地の人々を納得させられる論理があるだろう。おそらくほとんどない。私にできるのは、4月も5月も6月も、ただただ現場を歩き、人の話を聞き、伝えることだけである。少なくともそれが、東北にいる者の務めであろうと思っている。
私たちが東北から問う3月は、そうして過ごした1年の先にあるものでなくてはならない。
息子に与えるものと、息子から私に与えられるもの
2020年の夏、息子と2人で旅をした。裏磐梯と猪苗代。私は、直前まで仕事が立て込んで山や森を欲していたし、水が好きな相棒を満足させる必要もあった。初日は磐梯山の麓で新鮮な空気を吸い、翌日は猪苗代湖の波打ち際で過ごす。妻も久方ぶりに一人で過ごすことができる。そんな計画であった。
あまりの暑さから、息子はできることが増えた。ペットボトルを自分で開け、ストローなしで麦茶を飲めるようになり、湖では顔を水につけることができるようになった。私はいちいちそのことに感動し、彼は自分の進化に気づいていない。
私が息子に与えるものと、息子から私に与えられるもの。
私の人生でどちらが多いかといえば、圧倒的に後者だろう。その、数少ない私が与えられるものの中に、震災と原発事故があるのだと思う。
ただ、知ってほしい
いつか私は彼に、なぜ福島にいるのかを伝える日が来るだろう。生まれる前に、歴史に残るような大災害が起き、そして原発が爆発したこと。そのときに感じた、恐怖や怒りも伝えよう。同じように人を愛することの大切さも、感じていた。そして矢も楯もたまらず、私と妻は東京を飛び出し、東北に住むことになった。
そして、君が生まれた。
君は君の人生を生きればいいと思う。震災も原発事故も福島も背負わなくていい。ただ、知ってほしいと思うし、私は伝えていこうと思う。
涼しげにそびえる磐梯山を見ながら、そんなことを考え、しばらく会話が途切れた。彼はその間に、後部座席で眠ってしまった。
旅を終え帰宅した私たちは、そろって高熱を出した。夏風邪であった。結局、妻の負担を減らそうと思っていた私の計画は、まったくの裏目に出た。私は遊び、遊ばせすぎたことを反省し、妻は有給休暇をとり、息子は眠った。