文春オンライン
「息子に与えられるものは“震災”と“原発”」震災後に東京キー局記者が福島に移住して得たもの

「息子に与えられるものは“震災”と“原発”」震災後に東京キー局記者が福島に移住して得たもの

TBSを辞めた記者#2

2021/03/10

genre : ニュース, 社会

私だけが東北にいる不思議

 震災を経験し、息子といわきの海に立ち、福島のテレビ局で記者をする。

 人生は、わからないことだらけだ。

薄磯の海で遊ぶ筆者と息子 (筆者撮影)

 先輩記者が、爆発事故のあったベイルートからレポートをしていた。TBS時代、警視庁クラブで彼と一緒に過ごした日々を懐かしく思い出した。そういえば、私も海外特派員を希望していた。いつかは海外へ。そのために、必要なキャリアを積もうと考えていた。

ADVERTISEMENT

 別の同僚は宮内庁から天皇陛下の代替わりを取材し、また別の同僚はニューヨークへ行った。同じ日々を過ごした彼女や彼を、テレビで見るたび、そういう人生もあったかもしれないと思うようになった。

 後悔ではない。ただ、不思議な感じがするのだ。私だけが東北にいる。

東京にとって、3.11は年に1度訪れるメモリアル

 TUFで働くようになって、しばらく連絡をとっていなかった同僚や先輩から、連絡を受けることも多くなった。被災地取材の相談を受けることも多い。

福島県の浪江町 ©iStock

 殊に連絡が多いのは3月である。

 東京にとって、3.11は日常ではない。年に1度訪れる、メモリアルに過ぎない。「寄り添う」と言ってみたところで、日常を過ごしている私たちとの認識の差は、当然ながら大きい。その差を、殊更に責め立てるつもりもない。認識の差を埋めるため、東京の電波を使って、多くの人に知ってもらうように交通整理することも、地方局の務めであろう。すべての人間が、日常的に3.11を考える必要もない。私もまた、この時期に向けて、心血注いでニュースを伝えようとする1人である。

 しかし……、と思う。

「静謐であるべきだ」と話す被災者がいるにも関わらず、3月を一方的に「震災の季節」にして、少なからぬ人たちを困惑させ、場合によっては踏みにじるようなメディアの身勝手さを、感じないわけでもない。