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「神ではなく、父親の声がする」

 すると、法廷でかつての主治医を見た上部は、突然「ああ~!   ああ~!」などと奇声を発して暴れだし、法廷の扉に向かって走り出したところを、刑務官に取り押さえられる一幕もあった。これを見た医師は「落ち着くように」と上部に説いてから証言に臨む。この主治医の診断によれば、

「主に回避性の人格障害で、妄想はなかった」とするのだった。

 そこで、裁判所は再度鑑定を実施。すると今度は、

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「犯行の背景には人格障害があったと考えるが、重度のうつ状態でなく、対人恐怖症の範囲。著しい障害があったとまでいえない」との判定がなされたのである。──すなわち、刑事責任能力は問えるとされたのだ。

 (1)妄想性障害の心神耗弱。

 (2)いや、妄想ではなく回避性の人格障害。

 (3)いやいや、対人恐怖症の範囲。障害があったとまでは言えない。

 そんな具合で、同じ被告人の診断なのに、それぞれが互いの鑑定結果を打ち消し合っている。

 もっとも、当時、ずっと裁判を傍聴していた遺族に言わせると、

「あれは病気のふりをしているだけ、詐病ですよ。だって、法廷で暴れたあとはきちんとして落ち着いていたし、それに事件の経過や裁判について、日付まで細かいことをよく記憶しているんですよ」

 との見立て。その後の上部は、公判でこういう供述を続けていた。

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「回数は減ったが妄想はある。神ではなく、父親の声がする」

 それだけに、結審間近になって送られてきた〈お詫び〉の表題のついたA4判のレポート用紙からなる手紙は、遺族の心を逆なでしたようだった。

「14人の被害者や犠牲者がいるならば、家族の形も14通りあるはずです。それだけ、各々に家族を愛していたし、愛されてもいた。悲しみだってみんな違う。にもかかわらず、送られて来た謝罪の手紙14通は、文面がすべて同じ。しかも死刑求刑がなされた日に慌てて送りつけて来て、こんな誠意もない手紙など受け取れないと、全部送り返しました」

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青沼 陽一郎

文藝春秋

2009年7月20日 発売