「みんなが敵で殺してやろうと思った」
しかも、だった。心神耗弱が問われるからには、精神鑑定が行われることを期待してのことなのかもしれない。公判中の被告人質問に答えてこんなことを言い出していた。
「事件は自分の意思でやったが、追い詰められていくうちに、神の指示があったように思う。特に声は聞いていないが、神の指示で動いた」(00年3月29日第5回公判)
「人がよそを向くと自分を嫌っていると恨み、車の音を聞くと嫌がらせと感じ、みんなが敵で殺してやろうと思った」(同)
「(事件後に)包丁で胸を刺して死ぬつもりだったが、気抜けしてやめた」(同)
「神から事件を起こしなさい、下見をしなさい、という指示があった。台風で車が動かなくなった9月24日から29日にかけて指示があった」(00年4月26日第6回公判)
やれやれ──。池袋の通り魔には「造田博教」が登場し、下関には漠然とした「神」が降臨している。オウム真理教の場合は、お釈迦様の生まれ変わりとされた麻原彰晃の指示が絶対だった。
ところが、上部にとっての「神の指示」とは、「鑑定があるかも知れないと聞いて、ひょっとしたらなにか刑的にいいようなことがあるのではと思った」(00年5月10日第7回公判)だけのことであったことを、後に暴露しているのだから、始末が悪かった。
それでも、審理を中断しての精神鑑定が実施された。
その結果が、やはり専門家によって診断が分かれてしまうのだ。
最初の鑑定によると、犯行時の精神状態は「妄想性障害」にあったと診断され、犯行時にはまさに「心神耗弱」にあったとするのだった。──心神耗弱となれば、減刑の対象となる。
これに検察側は反論。事件前に上部が精神科医の診察を受けていたことを挙げ「妄想の診断は出ていない」と主張。この時の主治医を証人として呼び出したのだ。