「災害派遣や海外での姿を見てください」
折木 そうですね……。戦前は統帥権というものがあって、はっきり言って軍隊は何をやっても良い、というところがありました。ただ、今は法律などで、自衛隊の権限はきちんと決められて、制約されているわけです。災害派遣にしても、自分たちが行える役割と言いますか、権限も責任も法律できっちり決まっている。そういう枠の中で、入隊のときからずっと教育訓練をやってきているので、自衛隊は暴走のしようがないんです。ただ、それで国民をどう納得させるかと言われると……やはり、今やってる災害派遣や、海外での活動とか、その姿を見てください、それが自衛隊の姿です、ということになりますかね。
――先ほどの文官統制の話に戻りますと、かつての事務次官であった守屋武昌さんは、「防衛省の天皇」などと言われていました。いわゆる官僚が制服組を押さえつける、というイメージが浮かぶのですが、内部から守屋さんはどう見えていましたか。
折木 守屋さんは、そういう方ではなかったと思います。現場も頻繁に回られていたし、自衛隊のこともよくご存知でした。
――そうしますと、汚職事件のことはともかくとして、事務次官としてはしっかり仕事をされていたという印象ですか。
折木 そう思います。
「田母神論文事件」についての見解
――なるほど。もうひとりお聞きしたいのが、田母神俊雄さんです。以前、ここでも田母神さんにインタビューさせていただいたのですが、折木さんが陸幕長のときに「田母神論文事件」がありましたよね。あの件はどうご覧になっていましたか。
折木 田母神さんは私の一つ上ですから、お互いに若いときから知っていて、近いところで一緒に仕事もしてきました。だから、田母神さんが何を考えていて、どんな冗談を言う方なのか、というのはだいたい頭の中に入っていまして。今も顔を合わせれば軽口を叩き合える、そういう関係です。で、論文そのものについては、官で評価しているとおりだと思いますし、その後の田母神さんの生き方というのも、我々にはそれぞれの生き様があるわけなので。ただ、私の考え方とはちょっと違う部分があるな、とは思っています。
と言いますのも、やっぱり陸海空幕僚長になったら、その立場というのがあるじゃないですか。しかもそれは、苦しいけど、厳しいけど、おそらく死ぬまで背負っていかないといけないものなんです。私も統合幕僚長であったこと、陸幕長であったことは、ずっと引っ張って生きていかなきゃいけない。それは個人の問題じゃない部分があると思うんです。だから私は、幕僚長を辞めたからもう何をしてもいいんだという、そういう生き方はたぶんできない。そこは、良し悪しはべつにして、田母神さんとは違うのかなという気がしていますね。
――あの論文に書かれているような問題は、定期的に話題になるテーマだと思いますが、そうした歴史観といいますか、保守観についてはどのようにご覧になっていますか。