「仙台では震災で亡くなった人がほとんどいないと思われていました。中には、揺れがあったときに電話で話をしていたという人もいましたし、一緒に逃げたのに手を離してしまったという人もいました。でも、震災遺族の方が『わかちあい』にくることで、同じような経験をした人は自分ひとりではない、と思えたのです。そのため、会に来なくなっても、死を受容できることはあったと思います」
10年経っても喪失感をケアする場と人が必要
ただ、その後、震災遺族の「わかちあい」への参加は減少した。
「震災の遺族の場合、子どもと大人のグリーフケアの日程や場所を変えませんでした。仙台での開催だけでなく、石巻市、南三陸町、気仙沼市、岩沼市でも実施してきました。3年前からは山形市でも取り組んでいます。仙台市内では、自死遺族に特化した会がありますので、病死などで死別した人が参加することが多いですね。しかし、震災関連の遺族は少なくなりました。ニーズがないわけではないのですが、うまく伝わっていないのでしょう。
震災から時間が経ち、グリーフについてどんどん語れなくなってきているのではないでしょうか。しかし、語れないからといって、10年前の出来事によるグリーフがなくなっているわけではありません。震災1、2年目のときでさえ、『まだ考えているの?』と言われている人もいましたが、そんなに早くグリーフがなくなるわけではないです。5年や10年で簡単になくなるわけではありません。
また、グリーフの意義づけが、時間によって変わってきてもいいのです。例えば、最初の頃は、津波によって暴力的に奪われたことへの感情があったと思いますが、それが徐々に変わっていくのだと思います。自分の感情が変わっていくことを感じることもいいと思っています。『グリーフをなくすこと』が正解ではないのです」
震災遺族の「わかちあい」への参加が減少する一方で、グリーフケアの担い手を養成する講座を開いてきた。
「ファシリテーターの養成講座を開いてきました。そこには、看護師、葬儀社、宗教者、当事者らが参加しています。そのため、担い手は徐々に増えています。その意味では、場所や日程を増やすことも可能かもしれません。しかし、講座を受けた人がすぐにでも、分かち合いをできるわけではありません。
『わかちあい』には、リピーターよりも初めての参加者が多くなっています。一度、話すことで楽になったのか、あるいは会の雰囲気が合わなかったのかはわかりません。ただ、『わかちあい』だけがケアの場ではありません。いろんな場所でケアができればいいのです。例えば、家族に話せれば、それでいいのです」