震災で大切な人を亡くして10年。そう聞くと、長いようでもあるが、遺族にとっては、グリーフを話せるようになるのは個々でタイミングが違うこともあるし、「まだ10年」と、短く感じる人もいるだろう。
「例えば、戦争の遺族が最近になってようやく言葉にすることができたという話があります。これまで、その人に対するグリーフが置き去りにされてきたとも言えます。本当はグリーフを語ることを周囲が許容しなければなりません。それは震災遺族にも言えるのではないでしょうか。例えば、震災後すぐの時期に語らなければ、語ることに蓋をすることもあるでしょう。今後も、死に対して向き合い、見据えていくことが大切です」
悲しみ自体がなくなるのではなく、悲しみとともに生きていく
そう話している滑川医師だが、震災後、内科医から精神科医になった。なぜ、転身したのだろうか。
「(グリーフケア研究会で)わかちあいの会をしてきて、自死(自殺)について直接かかわりたいと思ってきたんです。それに周囲に向いていると言われましたし。やってみてよかったです。精神疾患もいろいろあります。脳の病気としてとらえようとすることもありますが、心の問題として捉えるものもあります。心の問題として扱うことに対して、私にはシンパシーがあります。アルコール依存症という病気があります。治療のアプローチとしては、グループで自分のことを語って自分を見つめ直して、仲間とともに飲酒を自制する。飲まない時間を増やすのです。それは『わかちあい』のようなものです」
昨年からコロナ禍となっており、被災地を訪れる人が減った。ステイホームで日常のコミュニケーションが変化した。医療も逼迫している。そんな中で滑川医師はどう思っているのか。
「震災後、いろんなことがありました。でも、自分の活動(グリーフケア)を終えることはできません。震災に限らず、死別はどこにでもあると思います。震災前は、ここまでグリーフのことを考えていなかったかもしれません。でも、震災があって、考える時間ができました。しかも、昨年からのコロナ禍がグリーフを複雑にしています。そうしたこともあり、あらためて『今後も活動していこう』と思う10年目ですね。日航ジャンボ機墜落事故や阪神淡路大震災で10年経ったころも、悲しみを深くしている人もいました。悲しみ自体がなくなるのではなく、悲しみとともに生きていくのです」
震災を経て、グリーフケアが注目をされた。また、震災前に「わかちあい」に参加していた人が、最近になってまた参加するようになってきた。震災の遺族にとって、「あの日」からどのくらい経ったのか、それに意味があるのかは、個人個人によって異なる。そうした当事者のペースに合わせ、グリーフを語ることの手伝いをしていく。
滑川医師は、震災10年を経て、さらに気を引き締めた。
写真=渋井哲也