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腹を刺す、耳を削ぎ落とす、腕は根元から切断する…呉で最も恐れられたヤクザの“狂気”に満ちた生涯

『昭和のヤバいヤクザ』より #2

2021/03/15
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 人は見かけによらぬもの。そんなことわざを証明するかのような人物が昭和の呉に実在した。本名、大西政寛。別名、悪魔のキューピー。華奢な体躯にベビーフェイス。声色も優しく、物腰もまた静か。それでありながら、一度頭に血が上ると誰も手が付けられないほどの凶暴性を持ち、呉で最も恐れられたヤクザとして名を馳せた。

 ここでは、ヤクザについての著書を多数出版しているジャーナリスト鈴木智彦氏の著書『昭和のヤバいヤクザ』(講談社+α文庫)を引用し、“悪魔のキューピー”こと大西政寛の生涯を紹介。『仁義なき闘い』の登場人物である若杉寛のモデルにもなった“ヤバいヤクザ”は一体どんな人生を送っていたのだろうか。(全2回の2回目/前編を読む)

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呉でもっともヤバいヤクザ

 予測するのは不可能だった。

 この男には危険な匂いがまったくないのだ。腕に覚えのある強者ほど、このトラップにはまる。勝ち目のある人間をターゲットにするのは、喧嘩師の経験則だからである。

 いったい何人のチンピラ、愚連隊、ヤクザがこの罠にはまり、踏みつぶされたことか。華奢な体躯にベビーフェイス。声色も優しく、物腰もまた静かだった。笑うとなんともいえない親しみがあって、まるで純粋無垢な子供のようにも見える。だから、なにも知らないチンピラにとっては格好のカモにしか見えない。知らぬが仏とはまさにこのことだ。

「兄ちゃんよう、どこ行くんかのう」

 ニヤニヤ笑いながら、坊やを取り囲み声をかけた。その瞬間、穏やかな菩薩が阿修羅へと変わった。

「いまなんて言ったんない」

 眉間にしわが寄り、目尻がピクピクと痙攣した。さっきとはまるで別人の形相で、チンピラたちにも動揺が走った。「おやっ」とレーダーが反応する。しかしもう遅い。こうなれば誰もこの男を止めることはできないのだ。

 無知は自分の血で贖う。それが暴力社会のルールである。まともな会話を交わす間もなく、チンピラたちは血の海に沈んだ。何事もなかったように阿修羅は菩薩へと戻った。

 いつしか、この危険人物は「悪魔のキューピー」と呼ばれるようになった。彼の名は大西政寛。戦後の広島・呉でもっともヤバいと言われたヤクザである。

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 暴力を信奉するヤクザ社会では、見るからにヤバい人間はそうヤバくなかったりすることが多い。抗争の際、たった一人で敵の事務所に乗り込んでいくような強者は、きまって普段大人しく物静かな若い衆だ。また暴力的な伝説を持つ親分たちをみても、体格に恵まれた人物はほとんどいない。命を懸けた殺し合いは、決められたルールの中で戦う格闘技とは似て非なるもの。勝負の明暗を分けるのは、腕力ではなく胆力なのである。