三派連合も大西に見切りをつけることに…
将を射んとせばまず馬から。山村組長は女房同士を仲良くさせ、それをきっかけに大西の面倒をみるようになった。ほどなくして山村組長は大西の陥落に成功。二人は土岡組長の暗殺を謀議する。実行犯として白羽の矢が立ったのは山村組の美能幸三、言わずと知れた『仁義なき戦い』の主人公である。美能はたった一人の兄貴分に実行犯をやらすわけにはいかないと実行犯を買ってでたのである。
前述のとおり、昭和24年9月27日、大西愛用の32口径モーゼル拳銃を手渡された美能幸三は、広島市猿猴橋の路上で土岡博と河面清志を襲撃した。病院に運ばれた土岡博は意識不明の重体となったが命は取り留めた。失敗だが、これ以上大西に関わればなにをしでかすかわからない。三派連合はもはや大西に見切りをつけた。黒い空気が呉に流れた。
昭和25年1月4日、妻と一緒に呉の本通りを歩いていた大西は、些細なことから人夫と喧嘩になった。いくつもの指名手配を受けていた自覚からさすがに自制心が働いたが、人夫が大西と名乗ったことで起爆装置のスイッチがはいった。
「わしの名を騙るんかい」
大西は人夫を神社に呼び出し、迷うことなく頭部を撃ち抜いた。たまたま同姓だったことが双方の悲劇だった。
あっけない最期
警察は威信を懸けて殺人鬼の捜索に乗り出した。匿名の電話で山村組顧問の岩城義一宅に潜伏しているとの情報をつかみ、大捜査網が敷かれた。1月18日午前3時、警察は一気に岩城宅に突入、大西の姿を探した。
そのうち一人の警部が盛り上がった布団を見つけた。おそるおそるゆっくり剥いだ。
「死ねや」
静寂に不気味な声が響く。銃口がまばゆい光を放った。さらに引き金を引こうとする大西。逮捕は無理と判断した警察は大西を射殺した。
いったい誰がチンコロしたのか――それは謎ということにしておこう。ただ、その後大西の実母が山村組長と談判し、莫大な金を手にしたことだけは記しておきたい。
【前編を読む】力道山に「二度と暴力をふるいません」と謝罪させた…“伝説のヤクザ”花形敬の知られざる本性