躊躇なく日本刀を振り下ろして腕を根元から切断
大西が土岡組の前線指揮官となったのは当然だった。当時の呉では、土岡組と小原組・山村組・海生組の三派連合が裏社会の覇権を巡って激しく対立している。中でも小原組は海生組の援助を受け意気軒昂であり、同じ阿賀を本拠として、なにかと目障りな存在だ。さなぎは羽化する前に駆除してしまえば労力も少ない。先制攻撃は大西が仕掛けた。
昭和21年8月14日、盆踊りの夜、「行くど」と叫んだ大西は土岡組の土岡正三親分とともに、祭りの雑踏に飛び出していった。祭りは不良のステージだ。肩で風を切って歩く小原組親分小原馨はすぐに見つかった。裏の畑に連行し威圧するが、小原はそれぐらいでビビる相手ではない。
「馨、観念せいや」
大西は処刑される捕虜に引導を渡すがごとくそうつぶやくと、ためらいなく日本刀を振り下ろした。小原の左腕は根本から切断され、地面で芋虫のようにのたうった。さらに小原の舎弟磯本隆行が急を知って駆け付けると、大西は磯本の右腕を切り落とした。このくらいやらなければ、呉のヤクザ社会では脅しにはならないのである。
狂犬のリスク
小原組に加えられた攻撃に震撼した三派連合は、大西との直接対決を避け、懐柔作戦へと切り替えた。
だが、大西には致命的な欠点があった。
邪魔者は暴力で排除する。まるで誰彼なく噛み付く狂犬と変わらなかった。ヤクザの暴力行為は後の清算を考え十分な計算がなされるが、大西にはそれができない。だから大西はヤクザとしても不適格者であり、正式な組織の人間とするのは大きなリスクが伴うのだ。
三派連合としては、籠絡した大西に土岡博を殺害させ、あとは使い捨てる。それがベストのシナリオだった。やられたらやり返すのがヤクザの論理だが、腕をもぎ取られた小原には沈黙してもらうしかない。
懐柔は世故に長けた山村組山村辰雄組長が担当した。山村組長は大西が土岡正三と賭場の上がりで揉めていることを聞くと、すぐさま接触を開始する。心の隙にうまくつけ込んでいく。他人の女を奪うやり方と同じである。
大西は見事にこの落とし穴にはまった。小原組の内紛を助け、殺人の手助けすら行ったのだから、三派連合は見事な役者だ。死と隣り合わせた瞬間に居合わせると、人間の親密度は急激に深まる。この時点で大西はもはや、心情的には土岡組の人間ではなかったかもしれない。