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「1日も早く、死刑囚から生還せねばと」林眞須美、加藤智大、木嶋佳苗…凶悪殺人犯が獄中で残した“言葉”

『死刑囚200人 最後の言葉』より #2

note

いまなお獄中から「徹底抗戦」

 だが、死刑が確定してからも、眞須美の「無実」を訴える活動はますます拡大することになる。再審請求はもちろんのこと、国やメディアを相手取り、何度も民事訴訟を繰り返し、一部で勝訴している。

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 2017年3月には再審請求が棄却。次女による「母がカレー鍋の見張り役から離れた時間が20分以上あった」という証言は、証拠として採用されなかった。

 事件後、「ポイズン」などと呼ばれいじめを受けた長男は、いまも地元に住みながら母との面会を続けている。ちなみに夫の健治や娘たちは、さまざまな理由から眞須美と関係を絶っている状態であるという。

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林真須美の言葉

「1日も早く、死刑囚から生還せねばと、自分に負けてしまわぬようにと過ごしています」

爆発した「不遇」への苛立ち

秋葉原無差別殺傷事件(2008年)――加藤智大

死刑確定 2015年2月2日

死刑執行 未執行

 投げやりな自殺願望による無差別テロに走りながら、その後、生への執着を見せる死刑囚もいる。2008年、東京・秋葉原の歩行者天国に突入し、7人を殺害した加藤智大も、そんな死刑囚と言えるのかもしれない。

 静岡県の自動車メーカー工場で働く派遣社員だった加藤智大(25歳)は、いつ切られるか分からない不安定な労働環境と、社会からの孤立感に悩まされていた。その鬱積した感情は、2008年6月5日、勤務先で作業服のつなぎがロッカーになかったことで「暴発」する。自身の唯一のよりどころだったネットの掲示板が、なりすましに荒らされたことも、加藤にとってはどうしても許せないできごとだった。

 加藤はその日、無断で退社すると、翌日にサバイバルナイフなどの刃物を購入。6月8日、2トントラックを借りると静岡県から東京の秋葉原へ向かった。参考にしたのは3カ月前に土浦で起きた金川真大による無差別テロだった。

 加藤は、東京に向かいながら何度も携帯サイトに「犯行予告」を書き込み、その反応を気にしていた。

「秋葉原で人を殺します」

「車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います。みんなさようなら」

 まさか数時間後、それが本当に再現されることになると信じた人間はいなかった。

 昼の12時30分、秋葉原に到着した加藤は、信号を無視して歩行者に2トントラックで突っ込んだ。この一撃で3人が死亡している。

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 トラックがタクシーと衝突して止まると、加藤は用意していたダガーナイフを持ち出し、手当たり次第に歩行者を刺し、切りつけた。当初は交通事故が起きたと思っていた群集も、加藤の凶行を前に大混乱に陥り、日曜の歩行者天国は地獄絵図と化した。

「駆けつけた警察官が拳銃を加藤に向けながら追い詰め、血だらけになった加藤はついに確保された。時間にしてわずか10分ほどの通り魔事件だった。