恵美のストレスはその後も過食症になるほどに溜まっていくが、ともかく恵美の「エホバの証人」二世としての受難は母親の聡子が組織を離れた中学1年の時点で終焉した。
話を聞き終えホテルを出ると、横浜の西口駅前はネオンの光に包まれ、昼間とは違った輝きを帯びていた。時計を見ると、恵美と会ってから5時間が経過していた。誰にも話すことができなかった心のモヤモヤを吐き出したせいなのか、恵美の表情はいくぶん明るくなっていた。
「よい便り」として届いたムチ
エホバの証人に最初から懲らしめの教えがあったわけではない。ムチが登場したのは今から35年前のことだ。
日本にムチがやってきたときのことは、元二世の尾形健(43)が体験していた。健は私が取材した元二世の中では最年長である。
「あれは確か1965年の、小学校の2年のある火曜日での集会のことでした」という。集会の終了間際に、日本支部から新しい「よい便り」が届いたとして次のことが会衆内で発表された。
「子どもの心には悪魔が入っている、悪魔を追い出すために、聖書に書かれている通りムチでお尻を叩きなさい」。そのあと長老の補佐役が「男物の細身のベルトを使って、椅子などに跪ひざまずかせて、20回くらい子どものお尻を叩いてください」と補足した。
健が苦笑しながら振り返る。
「それを聞いて、やばいことになってきたなあと子ども心に思ったもんです。その週の土曜日、運の悪いことに、放課後遊びに夢中になって、2時間ほど伝道に行く時間に遅れてしまった。おふくろはさっそく懲らしめを実行した。ところが、細身のベルトはへなへなしてうまくいかない。そこで、おふくろは足踏み式ミシンのベルト(直径8ミリ)で、20回思いっきり叩いたんですよ」
当時のミシンは足でペダルを踏むとベルトを通してミシン針が動くようになっており、ベルトは取り外しができた。