まずはマカオで遊ぶ
旧ポルトガル領、マカオの見どころはカジノだけではない。マカオは世界遺産に指定された一大観光スポットであり、香港・マカオの旅は、日本人にとって人気のツアーだ。香港から高速艇でマカオ入りするルートのほか、日本からのマカオ直行便もある。水谷建設の関係者たちがマカオへ向かう特殊な旅は、たいていその直行便を利用してきたという。旅を計画するのが水谷功である。特別な旅には、下請けの土建業者や貿易会社の社長、なかには政治家の元秘書までが参加した。彼らがいっせいに成田や関空からマカオに向かう。そんな光景がしばしば繰り広げられた。
まずマカオの入国審査を済ませ、夕刻、ホテルにチェックインし、まずはカジノで遊ぶ。水谷功から命じられているとはいえ、博打の元手は自前だ。バカラやスロットマシーン、ルーレットなど、思い思いに好きなギャンブルを楽しみ一夜を過ごす。
指令されたホテルの作業
肝心なのは翌朝だ。早朝、高速艇でマカオから香港へ向かう。目指すは、水谷から指定されたホテルだ。インターコンチネンタルやシェラトン、マンダリン……。アジア有数の観光スポットである香港には、名だたる高級ホテルが密集している。一行は水谷から言われるまま、そのなかのホテルの一室に急ぐ。
「羊羹を5つ、6つずつ、ボストンバッグに詰めて手荷物として持ち帰れ」
それが水谷功の指令だ。
ホテルに到着し、部屋のドアを開けると、奥のテーブルにその「羊羹」がいくつも置かれている。ゼネコン業界用語で、1000万円の塊を「羊羹」、さらに羊羹を10個一まとまりにし、ビニールで平らに梱包した札束の塊を「ザブトン」と呼ぶ。ホテルの部屋で業者たちの目に飛び込んでくるのが、1000万円の現金の塊、つまり羊羹である。なぜか米ドルや中国元ではなく、日本の円だ。100万円の束が十個ずつ、1000万円ずつがテーブルに並んでいる。
現金に限らず、密輸は手荷物で運ぶのが基本だ。スーツケースに入れて機内に預けた場合、知らないうちに中身を調べられる危険性が高まるからである。そのため、各自がボストンバッグに詰め、機内に持ち込んで運ぶ。実際に現金を運んだ業者の一人が、当時の場面を思い起こす。
「向こうで待っている水谷さんが、『これ頼むわ』と手わけして持たせるのです。裏金は何億円もあるから、一人で運べず、手分けせざるをえません。一人あたりの金額はなるべく多いほうがいいけど、羊羹十個(1億円)だと重すぎる。荷物が大きくなりすぎるので、機内には持ち込めません。手荷物で運べるのは、頑張って羊羹7つか8つが限度や。だいたい一人あたり羊羹を5つ、6つ運ぶ。だから、マカオ・香港カジノツアーには、何人も動員されるのです」
かつて南京条約により、清から英国に割譲された香港は、ロンドンやニューヨーク、東京に肩を並べる金融センターとして繁栄してきた。97年7月に中国に返還されたが、このとき中国政府はそれまでの共産主義から西側資金を取り入れようと、政策の舵を切る。英国領時代の自由貿易港としての機能を温存し、香港を特別行政区と位置付けて、銀行や証券などの金融取引を奨励してきた。そうして香港は今日の中国経済を牽引するような自由都市になる。