一般には知られていない中堅ゼネコンの社長にもかかわらず、永田町では知らぬ者のいない有名人だった男が、2020年12月17日に帰らぬ人となった。その男の名前は水谷功。小沢一郎事務所の腹心に次々と有罪判決が下された「陸山会事件」をはじめ、数々の“政治とカネ”問題の中心にいた平成の政商だ。
彼はいったいどのようにして、それほどまでの地位を築き上げたのか。ノンフィクション作家、森功氏の著書『泥のカネ 裏金王・水谷功と権力者の饗宴』より、芸能界でも幅を利かせていた男の知られざる正体に迫る。(全2回の2回目/前編を読む)
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業界垂涎の関空工事
スーパーゼネコン5社の一角「大林組」の常務だった平島は、業界に君臨してきた談合の総元締めとして知られる。大林組から西松建設に移籍したのち、準大手の西松建設をわずか1年で収益ナンバーワンに押し上げた伝説の談合屋である。
談合の世界では、ボスやドンと呼ばれる仕切り屋が各地方に存在するが、天皇と異名をとる実力者となるとそうはいない。平島栄は飛島建設の会長だった東の植良祐政に対し、西の平島天皇と畏怖されてきた。
「建築の松永に対し、土木は平島さんといわれました。もともと大阪の業務屋は、建築部門が主流でしたから、中堅や準大手などでは建築部門の業務屋が土木の談合も兼ね、任されてきた。土木と建築と両方の談合に顔を出す業務屋も少なくありませんでした。そんな建築主流に対して反旗を翻したのが、土木畑の平島さんでした。『栄会』は、文字どおり平島栄さんがつくったもので、大林で力をつけた平島さんが土木分野の談合組織を独立させた。そうして建築と土木のすみ分けができるようになり、平島さんが土木工事の天皇として君臨していったのです」
ひところの平島は、主だった関西の土木公共工事すべてに関与していたほどの権勢があったという。平島をそこまで押し上げたのが、関西国際空港の土木工事である。
もとはといえば関空は騒音問題に悩む伊丹空港の代替空港として計画された。計画の歴史は古く、1974(昭和49)年8月、航空審議会が運輸大臣に「規模及び位置」について「大阪湾の泉州沖が最適だ」と答申したのがはじまりだ。大阪湾沖に浮かぶ人工島に建設された日本初の完全24時間営業の国際空港として、航空界の期待を集めた。3500メートルのA滑走路と4000メートルのB滑走路が、互いに邪魔にならないくらいの距離を保つように並行に並んでいる。航空界では、これをオープンパラレルといい、最も機能的な滑走路だとされる。
関空はそんな国際基幹空港の基準を満たした日本唯一の空港だ、と鳴り物入りで建設された臨海空港だ。その割に利用者が少なく、空港も赤字続きで非難囂々なのは皮肉なものである。