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“昼からマージャンで20、30万円を賭け…” 関西建設業界のドンが明かした「談合」の実態

『泥のカネ 裏金王・水谷功と権力者の饗宴』より #11

2021/03/08

source : 文春文庫

genre : ニュース, 社会, 政治, 経済, 読書

 一般には知られていない中堅ゼネコンの社長にもかかわらず、永田町では知らぬ者のいない有名人だった男が、2020年12月17日に帰らぬ人となった。その男の名前は水谷功。小沢一郎事務所の腹心に次々と有罪判決が下された「陸山会事件」をはじめ、数々の“政治とカネ”問題の中心にいた平成の政商だ。

 彼はいったいどのようにして、それほどまでの地位を築き上げたのか。ノンフィクション作家、森功氏の著書『泥のカネ 裏金王・水谷功と権力者の饗宴』より、芸能界でも幅を利かせていた男の知られざる正体に迫る。(全2回の1回目/後編を読む)

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脱談合宣言後

「建設業界は05年末に脱談合宣言をしました。小沢一郎さんの一件を含め、全国で摘発されてきた一連のゼネコン事件は、どれも決別宣言前までの出来事です。決別宣言を境に、業界はかなり様変わりしました。表向き談合はなくなっています。しかし、談合決別宣言後、建設業界はよくなるどころか、むしろ業界全体が混乱を極めています」

 そう話す斯界の顔役がいる。準大手ゼネコン「東急建設」相談役顧問だった石田充治である。よわい八十を超え、すっかり白髪になっているが、禿げてはいない。業界にありがちな強面ではなく、むしろ老紳士という言葉がぴったりくる。関西建設談合のドンの一人である。こう話す。

「事件で談合が注目されても、表面的なやり取りしか報道されていない。実際に、談合現場で何がおこなわれ、どこが問題だったのか、そこはこれまでほとんど伝えられていません。ゼネコンを取り巻く根本問題の解決にはなっていないのではないでしょうか」

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 石田は戦前の1930年3月15日、東京に生まれている。父親の充規は、東京・神田で「石田建設」という中堅建設会社を創業した人物だ。妾腹だったが、跡取りとして育てられたという。早大を中退したのち、父親の会社に入社した。それが、建設業界生活のスタートとなる。

「業務屋」として頭角を現すまで

 石田建設は戦時中、旧日本軍との取引で繁盛した。だが父親の死後、53年に会社は倒産する。石田本人はその後、中堅ゼネコン「島藤建設」に移籍し、そこから談合の世界に足を踏み入れる。島藤建設はその後戸田建設と合併したため今はないが、かつて業界では老舗のゼネコンとして知られた会社だった。石田は69年から島藤建設の大阪支店に勤務し始めた。そこから76年、準大手の東急建設にスカウトされる。

 建設業界では、談合担当者のことを「業務屋」と呼ぶ。石田は島藤建設時代から、業務屋として頭角を現した。08年に東急建設の常勤顧問を退くまで、実に50年近く第一線で活躍してきた業界の生き字引だ。こう語る。