もともと談合は利益を守る手段だった
「建設業界では長年談合が機能し、業界を支えてきました。業界にとって、もともと談合は利益を守る手段だったはずです。それがいつしか変わってきた。私が身を置いてきたそんな談合とは何だったのか。死ぬ前にそれを見つめ直すことは、私の責任のような気がしています」
石田の言うように、建設業界における公共事業の談合が、日本の経済発展の裏で一定の役割を担ってきたのは事実だろう。反面、談合により工事価格が高く設定され、税金の無駄遣いという批判もつきまとってきた。おまけに水面下では、裏金という不正な資金操作まで派生した。中央政界や地方自治の不当な思惑が絡み、ときに暴力団組織の影までちらつく。税金を使う公共事業において、許されない商行為が横行してきたのもまた、紛れもない事実だ。そんな談合の実態は、日本社会の利権構造そのものを凝縮した姿だったともいえる。
いったい建設談合とは何をもってそう呼ぶのか。関西談合のドンによる50年間の歩みから、それをひも解いてみる。
スーパーゼネコンの威光
前述したように、建設業界では、それぞれの会社が規模や工事実績に応じてランク付けされている。特Aクラスの大手5社が「鹿島建設」「大成建設」「清水建設」「大林組」「竹中工務店」だ。その下が、西松や東急などの準大手である。ただし名称の知れた会社でも、スーパーゼネコンと呼ばれる大手と準大手の間には、格段の実力差がある。中央官庁が発注するような大工事では、常にスーパー5社の威光が届く。小沢事件で「胆沢ダム」の工事を鹿島が牛耳っていたのと同じだ。
「古く東京では、『水曜会』という談合組織があり、私も昭和40(1965)年ごろから、そこに顔を出すようになりました。八丁堀の建設会館に談合のためのサロンがあり、名簿も置いてある。どこの会社も、必ず社長や会長などの代表者が、登録会員としてそこに名を連ねなければならなかった。ただ、実際にサロンに集まるのは、業務屋たちです。だから名簿には、業務屋の名前もあった。若いころの私も、島藤建設の担当者のひとりとして、水曜会の名簿に載っていました」
石田が述懐する。「水曜会」は、東京に本社がある建設会社が中心になって結成された。水曜日に集まる懇親会という意味だろう。さらに水曜会の分科会として、「二水会」と名付けられた第2水曜日に集まる業務屋の懇親組織もあった。そこは表向き業務屋たちが旅行やゴルフを楽しむための集まりだったという。石田が説明する。