文春オンライン

“昼からマージャンで20、30万円を賭け…” 関西建設業界のドンが明かした「談合」の実態

『泥のカネ 裏金王・水谷功と権力者の饗宴』より #11

2021/03/08

source : 文春文庫

genre : ニュース, 社会, 政治, 経済, 読書

note

談合の天皇

「談合組織には、運営委員会社という名称の中核メンバーがいます。大手の業務屋を筆頭に、ランク上位10社程度がそれにあたり、調整機能を果たすのです」

 東京の「水曜会」の関西版が、「栄会」である。関西では、大林組と竹中工務店の二大スーパーゼネコンが談合を取り仕切ってきた。関西における数少ない「談合の天皇」が、大林組元常務で土木工事を仕切った平島栄であり、建築では竹中工務店元参与の松永英夫の名前が通ってきた。

 もともと談合組織には、建築と土木の区別はない。建築の担当者が土木の談合調整を兼ねてきた。いわば建築部門のなかに土木工事の調整が含まれていたため、ゼネコン業界では建築部門のほうが格上と見られてきたきらいがある。石田が続ける。

ADVERTISEMENT

「関西の『栄会』は、大阪建設業協会のビルに堂々と看板を掲げていました。はじめは建築も土木もなかったんです。それを分けたのが、平島のおっさんでした。昭和47(1972)年、分野別に名称を分け、『建築栄会』と『土木栄会』となる。これにより、関西における土木の業務屋たちが独立したかっこうです。5階が建築で、6階が土木とフロアーが分かれた。当時は、どちらもかなり大っぴらにやっていました」

 石田はもっぱら建築分野で調整力を発揮した。その後ろ盾になったのが、竹中工務店の松永である。元来、汚れ役である業務屋の多くは営業部長どまりで、松永の最終的な肩書も役員補佐だ。だが、業界内で松永の影響力は群を抜いていた。東急の石田が「関西建築談合のドン」として君臨できたのは、松永の懐刀として権勢をふるえたからでもある。