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 その関空工事は87年1月、空港島の護岸築造からスタートしている。一本目のA滑走路をつくった第一期工事で、すでに1兆5000億円の事業費を投じ、99年に始まったB滑走路用の二期工事でも、1兆4200億円の工費をかけている。事業費3兆円に迫る建設業界としては垂涎の事業だったわけだ。

バックは角さんの金庫番

 大林組時代の平島が、その一期工事を取り仕切った。国家の一大プロジェクトを統べてきた元締めが、業界の天皇にのぼりつめたのは、必然だったかもしれない。ゼネコン業界で平島の腹心と呼ばれた下請けの建設業者が述懐する。

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「平島さんは、力のない政治家が横やりを入れてきても、それを跳ね返すくらいの力がありましたわ。われわれの前で、『○×先生、なに言うてまんねん。業界のことに口出さんといてくれまへんか』と平気で突っぱねていました。その背景は、田中の角(栄)さんの金庫番、佐藤昭(子)さんやったと思います。平島さんは、昭さんとえろう親しくしてはりました。ときどき向こうから電話がかかってきて、『いやあ、昭さん、それはあきませんで』なんて大きな声で言うんや。たぶんまわりにわざと見せつけているんやろうけど、われわれにしてみたら、やっぱり凄いと思う。あとで、彼女に対してどう修正しているか知らんけど、『さっき佐藤昭から電話があったけどな、また業界の下請けまで口出ししたから、蹴っといたで』なんて調子で話していた」

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大物官僚との対立

 やがてそんな平島の政界人脈が、ゼネコン業界のなかだけでなく、世間にも知られていく。きっかけは旧運輸省(国交省)からの関空天下り社長、竹内良夫との対立だ。

 運輸省第三港湾建設局長時代から関空の建設にかかわってきた竹内は84年9月、関空の初代社長に就任する。国際臨海開発研究センター理事長や日本港湾協会副会長、運輸省港湾審議会会長、土木学会会長などを歴任した大物官僚だ。