一般には知られていない中堅ゼネコンの社長にもかかわらず、永田町では知らぬ者のいない有名人だった男が、2020年12月17日に帰らぬ人となった。その男の名前は水谷功。小沢一郎事務所の腹心に次々と有罪判決が下された「陸山会事件」をはじめ、数々の“政治とカネ”問題の中心にいた平成の政商だ。

 彼はいったいどのようにして、それほどまでの地位を築き上げたのか。ノンフィクション作家、森功氏の著書『泥のカネ 裏金王・水谷功と権力者の饗宴』より、芸能界でも幅を利かせていた男の知られざる正体に迫る。(全2回の1回目/後編を読む)

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政官業一体の現場

 ゼネコンの選挙応援は、まず「選挙人名簿」の作成から始まる。社員はもちろん、その親族や知人など有権者をリストアップする。太田房江の知事選では、そうして大手から中小の下請け業者にいたるまで、400社がいっせいに動き出したのである。リストに沿って声をかけ、票読みをする。そうして、各社が選挙応援に駆けずり回ったという。本体の従業員だけで1万人近い大林組のようなスーパーゼネコンをはじめ、数千人規模の準大手や数百人の中堅ゼネコン、数十人の建設会社の営業マンが奔走した。結果、10万票を獲得したというから、1社平均250人の集票力という計算になる。やはり談合組織は、大した集票マシーンだ。

 政界では、衛藤征士郎よりむしろ、鈴木宗男が最前線で、府知事選の指揮を振るった。その鈴木の尽力もあり、太田陣営にはゼネコンのほかにも強い味方がついた。食肉業界に隠然たる影響力を持つハンナングループだ。グループの総帥、浅田満が、食肉偽装事件で摘発される前の話で、浅田と太田とのパイプ役を果たしたのが、鈴木だったのだろう。

立候補者不在の会合

 もっとも、当のハンナンでは「グループとして、太田さんの支持は特にしておりません」と否定し、鈴木宗男本人に聞いてみても、あまり多くを語らない。

鈴木宗男氏 ©文藝春秋

「あのときは選挙の責任者として、平成12(2000)年の元旦から候補者調整で大変でした。太田さんの線で府連に根回しするため、毎週のように大阪に入りましたから。ただ、ゼネコンを前に私が演説をぶったことは、ないんじゃないかなあ。記憶ないな。最近はゼネコンが影響力を持てる選挙じゃないし、北海道にスーパーゼネコンがやって来て応援しても、逆に地元の業者は反発するから、選挙になりません」

 建設業界の談合担当者が一堂に会したのは、紛れもない事実なのだが、なぜかそこも否定する。現場に呼ばれた石田はこう言う。

「大林の講堂には、太田房江さん自身の姿がなかった気がします。普通、この手の選挙は知事や市長など地元の有力政治家が一席ぶつが、それもなかった。ゼネコン選挙だから、表立って話せなかったのかもしれませんね」