「藤波さんのところに挨拶へ行け」
「ずい分前の話ですけどね。大阪大学の医学部に移転計画が持ちあがったのです。大学の医学部は施設が何棟もあるから、工事全体の額も数百億円規模と大きい。仮に、一つでも施設の建設を受注できれば実績になります。このときは、ちょうど大成建設とのJV(共同企業体)入札の話がありました。それで、竹中工務店の松永さんに相談したのです」
国立大学法人である阪大は、かつての帝国大学だ。校舎の建設は文部科学省の所管する大きな公共工事である。かつて中之島にあった阪大医学部が吹田市に移転した。すべての校舎や病棟、施設の移転が完了したのは93年8月だ。石田が続ける。
「おまけに医学部がそっくり移転するとなると、大学当局だけではとても計画できません。文部省(当時)の意見が絡んできますが、その業者の選定は談合組織のなかで決まる。移転は表立って談合活動をしていた錦城クラブ時代のことでしたから、松永さんの意向がすべて。それで松永さんに、東急で工事を受注できませんか、と頼んだのです。すると、『藤波(孝生)さんのところに挨拶に行け』という。もちろんそれは、『お願いします』という言葉を伝えろ、という意味ではありません」
かつて中之島にあった阪大医学部が吹田市に移転した。すべての校舎や病棟、施設の移転が完了したのは93年8月だ。
藤波孝生といえば、リクルートグループの未公開株譲渡事件が思い浮かぶ。学生の就職活動に使われるリクルートブックで急成長を遂げたリクルート創業者の江副浩正が、文部省や労働省に影響力のある族議員や官僚に賄賂を贈った贈収賄事件だ。むろん阪大医学部の移転計画が持ちあがったのは、88年に発覚したリクルート事件のずっと前の話である。中曽根康弘政権の官房長官である藤波は、文教族議員としても知られていた。
摘発されてきた官製談合は、発注者が中央官庁だろうが、地方自治体だろうが、基本構造は同じだ。中央官庁の発注工事は建設業者の頼る相手が国会議員で、地方自治体の工事なら知事や市長などの首長である。談合組織の実力者が双方のあいだに立って公共工事をさばく。それが、建設談合の天皇やドンである。