日本刀で相手の腕を切り落とし、窃盗では数億円を荒稼ぎ——。1980年代後半に中国残留孤児2世、3世を中心に結成され、その凶悪さから恐れられた半グレ集団「怒羅権」。その創設期のメンバーで、13年間刑務所に服役した筆者・汪楠(ワンナン)氏の著書『怒羅権と私 創設期メンバーの怒りと悲しみの半生』(彩図社)が話題だ。

「包丁軍団」と呼ばれた怒羅権の荒れ狂った活動の実態から、出所後に犯罪から足を洗い、全国の受刑者に本を差し入れるプロジェクトを立ち上げるまでの壮絶な人生を描いた汪氏の自伝から、一部を抜粋して転載する。(全6回の5回目/#4#6を読む)

◆◆◆

ADVERTISEMENT

汪楠氏 ©️藤中一平

拳銃を持ってカチコミに行こうとしたら…

 私はヤクザを27歳で辞めました。破門だったのですが、その発端となったのは山口組とのトラブルでした。

 抗争に発展しそうなとき、それまで「組長のために命を張る」と言っていた人たちが、いざ喧嘩になると動こうとしません。しかし私は半グレ精神が強かったため、問答無用でやってしまえばいいと拳銃を持ってカチコミに行こうとしました。

 そのときは身内に殺されそうになりました。彼らはこう言います。

「発砲したら、仕返しでこちらが全滅させられる。正直に言ってこちらに勝ち目はない」

 その結果として私は破門され、組だけでなく上層の二次団体まで解散し、壊滅しました。

 ヤクザは辞めても、怒羅権のシノギは続けていましたから、その後も私は多くの犯罪に関わりました。そして2000年、私が逮捕される事件が起きます。

 ことの発端は沖縄での仕事でした。

©️藤中一平

「拳銃を400万円で買う」というサラリーマンと接触

 事務所荒らしをするため、3ヶ月ほど前から現地の宿を押さえ、準備を進めていました。すると、部下の1人から同じ時期に沖縄サミットがあると忠告されました。私は意に介しませんでした。私たちの仕事に影響があるとは思わなかったからです。

 当時は拳銃の密売もしており、その取引もするつもりでした。現在ほどインターネットが一般的ではありませんでしたが、掲示板などを通じて違法品の売買は行われていました。30万円で仕入れた拳銃があり、それをどうしても欲しいというサラリーマンを見つけたので400万円で売ることになっていました。