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拳銃を捨てるために海へ

 私自身が捨てに行きました。本当は部下に捨てるように指示したのですが、海の方向がわからないというのです。カーナビで見れば海なんてすぐにわかるのに。

 夜に宿を出て、海辺の堤防にいきました。ここで私はきまぐれを起こしました。銃には弾が20発ほどついており、もったいないという気持ちを抱いたのです。私は堤防にむかって全弾撃ち尽くし、それから銃を海に投げ捨てました。

 硝煙反応はついていましたが、翌日には大分から去るつもりだったので、たいした心配もせず宿にもどりました。すると、部下たちが仕事道具は揃っているのだから事務所荒らしをしようと言ってきます。

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 結局、そのまま大分に滞在し、地元の企業に押し入り、数億円の残高のある通帳を盗みました。次の日に銀行で確か4000万円か、8000万円を引き出しました。そろそろ引き上げるべきでしたが、グループの1人が通帳にはあと2億円近く残っているからそれも引き出そうと提案しました。

 グループは日本人と中国人の混成だったため、こうした状況だと意見がよく割れました。提案したのは日本人のヤクザでした。金が必要だったようです。結局、日本人メンバーと中国人の一部が残ることになりました。主要メンバーの中国人たちは私についていくと言って行動をともにしました。

汪楠氏 ©️藤中一平

私には「2つの不注意な点」があった

 ここで私には2つほど不注意な点がありました。

 拳銃を海に捨てたとき、私は周囲が無人だと思っていたのですが、このとき堤防の下では大勢が夜釣りをしていたのです。頭の上で20発も銃声を聞いたのですからたいへん驚いたことでしょう。当たり前のことですが、彼らは通報していました。

 さらに、沖縄サミットについて調べていなかったことが再び裏目に出ました。この大分でも沖縄サミットの余波で厳戒態勢が敷かれていたのです。

 2億円を引き出そうとしていた仲間たちと分かれ、福岡に向かおうとしたところ、緊急配備で検問があちこちに敷かれているのに気づきました。発砲事件も、最初の現金の引き出しも警察に伝わっていたのです。仲間たちはすぐに半分が逮捕され、半分は市内に身を隠しました。

©️藤中一平

 とにかく身を隠した仲間を救出しようと市内に戻ると、状況は切迫していました。鉄道も国道も高速道路もすべて止められていたのです。残されたのは大分空港だけでした。しかし大分空港も警戒されていました。私がたどり着くと、自動小銃をもった自衛隊が整列していました。

 ここまでかと思いましたが、偶然ながら、この場にいたメンツは盗みの現場にも銀行にもいっていないことに気づきました。顔が割れていないということは素通りできるかもしれません。意を決して空港に入りました。空港なら大勢の人がいるので、紛れ込める希望もありました。