福島県大熊町に「やすらぎ霊園」という墓地がある。

 東京電力福島第1原子力発電所の事故で、全町避難を迫られた町役場が造成した。

 小高い山を削っただけのような場所でしかない。花が植えられるなどして公園化されているわけでもない。その一角に立つと寒々とした風が吹きつける。

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空き区画が目立つ「やすらぎ霊園」

 だが、あの日、町を追い出されるようにして避難させられて帰れなくなり、見知らぬ土地で暮らさざるを得なくなった人々にとっては特別な土地だ。

 もはや、大熊町内で帰れる場所は霊園しかないという人もいるのである。

 骨になってしか帰れないのか。いや、それすら叶わないかもしれない。避難から10年という歳月が人々の心を締めつける――。

原発から2キロの町で

「地震だけなら、今頃はもうすっかり復興していたでしょうね」。同町に住んでいた杉本征男(ゆきお)さん(79)が遠い目で話す。

 2011年3月11日午後2時46分の発災時、杉本さんは妻と2人で町内のパークゴルフ場にいた。

 立っていられないほどの激しい揺れ。後ろを歩いていた人がドーンと音を立てて倒れた。休憩所の壁を突き破って、屋内の自動販売機が飛び出す。ブロックが崩れる。目の前でアスファルトが割れていく。

 家に戻ると、屋根瓦が落ち、屋内に入れるような状態ではなかった。

あの日のままの家

 夜、車の中で毛布を被った。「寒すぎる。困ったな」と思っていたら、町役場の防災無線が少し離れた中学校へ集まるよう呼び掛けた。ただし、寒さ対策ではなかった。

 杉本さんが住む夫沢(おっとざわ)1区は、原発のすぐ近くだ。自宅は約2キロメートルしか離れていない。

 その頃、既に原発が暴走を始めていたのである。