ジャニーズのV6が、デビュー26周年を迎える今年11月1日での解散を発表した。SMAP、嵐、少年隊などの解散や活動停止が続くなかで、ジャニーズ史上最長の歴史を持つV6もついに幕を下ろすことになる。
解散後は森田剛(42)がジャニーズを退所して俳優業に専念し、他の5人のメンバーはジャニーズに残ってソロで活動するという。森田が所属していた三宅健(41)、岡田准一(40)とのメンバー内ユニット「Coming Century(カミセン)」は解散、坂本昌行(49)、長野博(48)、井ノ原快彦(44)の「20th Century(トニセン)」は存続する。ジャニーズのトップグループとして際立った活躍を見せた時期があるわけではなく、それでも常に3、4番手の位置を保つ稀有なキャリアを歩んできたV6。各メンバーの今後に何が待ち受けているのだろうか。
「V6については、何かあるとしても森田剛か岡田准一の脱退ぐらいという見方が大半でした。それが急に解散発表ですから驚きましたよ。ただ近年はV6としてグループで活動する機会はほぼなく、ツアーも2017年が最後。そういう意味では、解散しても各メンバーの活動への影響はそこまでないでしょう。“V6ロス”になろうにも、V6としての活動がなかったわけですから」(スポーツ紙芸能デスク)
ジャニーズ事務所はV6の解散について、2019年春からメンバーの間で話し合いが始まっていた事を公式サイトで明かした。森田が「これからの人生、ジャニーズ事務所を離れた環境で役者としてチャレンジしたい」と発言して、その思いを受け止めた他の5人が同意して、2019年暮れには解散が決まっていたという。
V6は1995年11月1日のCD「MUSIC FOR THE PEOPLE」でデビューした。フジテレビが丸抱えしたバレーボールW杯のタイアップ曲で、ユーロビート風の曲調とともに、まだ新興だったエイベックスとジャニーズが初めてコラボしたことでも注目を浴びた。
「当時はSMAPが頂点を極めつつあったタイミングで、それにTOKIOが続き、少年隊もまだ健在でした。V6はそもそも『光GENJI、SMAP、TOKIOのメンバーになれなかったトニセン』と、若いカミセンが合体してできた変則的なグループ。2年後にデビューしたKinKi Kidsにアッという間に抜かれてしまい、天下を取るという夢は早々に難しくなりました」(女性誌編集者)
V6のCD売り上げを見ても、ジャニーズのトップグループとは言いがたい。歴代で1番売れたシングルは1997年の「愛なんだ」が58万枚、2位はデビュー曲の「MUSIC FOR THE PEOPLE」で52万枚、3位の「WAになっておどろう」も1997年発売で52万枚。アイドルグループとしてのピークは、実質的にデビュー2年ほどで過ぎてしまった。