阪神ファンとなってかれこれ40年の月日が経つ。現在、45歳の自分にとって、おそらくもっとも古い友人といえるだろう。今シーズンが終われば、5年前に他界した父よりも長いつきあいとなる。

 仮に、1日のなかで阪神のことに費やした平均時間を1.5時間としよう(かなり低めに見積もって。実際には、シーズン中であれば観戦時間含め5時間はくだらない)。わが阪神へ割いた総累計時間は2万1900時間。日数にして約912日となる。1日平均3時間とすれば、その倍。我が事ながら驚くばかりだ。

 時間だけではない。2003年、言わずもがな、阪神が18年ぶりにリーグ優勝を果たした年である。当時私は生まれ育った京都を離れ東京の会社で働きだし4年目を迎えていた。その年の5月、何を思ったか、突然退社し、旅人を名乗る。まあ、無職というほうが正確だろう。収入がゼロになった。だが、そんな私の財布事情を意に介することなく、阪神は快進撃をつづける。見たい。どうしても見たい。その一部始終を。ニュースやネットで結果を知るだけでは満足できない。だが、東京では地元KBS京都の「試合終了まで放映」はおろか、19時から21時前までの放映も珍しい。東京に、MBS(毎日放送)やABC(朝日放送)やytv(読売テレビ)が無いことを恨んだのは、後にも先にもこの時が最後だ。結論を言えば、スカパー!を契約した。くりかえすが、あの頃私は無職だった。

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 ああ、お金のことは言うまい。ただ、せめてあの時間のうち3分の1でも他のことに充てていれば……私の会社も少しは経営が楽になっていただろうに。

 などと考えるのは無粋にすぎないだろう。それができないのがファンなのだから。

©文藝春秋

二度と阪神のことを人前では話すまいと誓った日

 前置きが長くなりましたが、このたび、文春野球の阪神タイガース監督となりましたミシマ社の三島邦弘です。約半年間、どうぞよろしくお願いいたします。

 ところで、なぜ、この大役が私のところに来たのか? と言えば、私が編集者だからだろう。普段からお付き合いのある書き手の方々に依頼して、このコーナーを盛り上げてほしい。コミッショナーからはそのような要望を感じた。もちろん、その前提には、私が阪神ファンであることが挙げられよう。つまり、「阪神ファンかつ編集者」という条件を満たしたのが私だったわけだ。ということは、そのどちらか一方の要素が欠けても、今回の大役は成り立たないということになる。

 困った。

 依頼がきたとき、正直、私は当惑した。引き受けるべきか、かなり逡巡した。なぜなら、私が阪神ファンであることは仕事をする上で封印していたことだからだ。

 もう10年ほど前になろうか。ある重要な打ち合わせ兼食事の機会があった。最初は緊張していた。編集者らしく「聞き手」に徹していた。だんだんと場がなごみだし、和気あいあいと会話も弾む。そうして、少し緊張から解放されたのだろうか。理由は忘れたが話が野球のことになった。そのときだ。

 ひとこと。ほんのひとこと、阪神のことに触れた。そのひとことで、一瞬にしてスイッチが入ってしまった。気づけば、「万年最下位と言われた時代の阪神」について滔々と語り出していた。「連日、京都から甲子園まで通ったのに、二日で得点したのはわずか一点ですよ。その一点は大豊のホームランのみ」。今思い出しても、何ら面白みのない話を意気揚々と語った。先方はずっとにこやかに「へ~」と合いの手を入れつつ聴いてくださった(大人の対応ってやつだ)。独演会がはじまった。それが、なんと2時間! その夜の悔恨は昨日のことのような痛みを伴って思い出す。こうして仕事の大きな機会を逸した私は、二度と阪神のことを人前では話すまいと誓った。

 アルコール依存症ならぬ阪神タイガース依存症。

 なのかもしれない。そんな私が仕事として阪神を扱えるだろうか? 本業に差し支えが出ないか? のめり込むあまり、自社の刊行物が出なくなる。そんなことが起こりえないと言えるか? ほら、『上を向いてアルコール~「元アル中」コラムニストの告白』で小田嶋隆さんも言っているではないか。「何年禁酒していても、一滴で戻る」。そういう病だ、と。私の阪神も同じようなものではなかろうか。

 さまざまな不安がよぎった。だが、結局のところ、私はこの仕事を引き受けることを決める。理由は、この「魔物」をこれ以上抑えることは困難。そう判断したからだ。それより、この「魔物」とうまく付き合う方法を探ろう。逆に、今回はチャンスではないか。編集という本業で、魔物を小出しにすることで、暴発を防げるのではないか。そんな仮説(そう、かなり都合のいい仮説だ)を立てて、監督になることを決意した。