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ANA機内食販売から振り返る 機内食102年の“進化”がすごかった

2021/03/31

genre : グルメ, 企業, 娯楽,

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寿司職人が握るJAL寿司バー

 1991年3月、日本航空の成田~ワシントンDC線が就航した。このときファーストクラスの目玉となったのが、JAL寿司バーだった。これはB747の機内に寿司職人が乗り込み、機内で寿司を握るという冗談のような本当の話である。寿司職人は寿司を握る以外に仕事があるわけでもない。壮大な人件費の無駄遣いという気もするが、それこそがバブルだったのであろう。ちなみにネタもシャリも冷凍したものを機内で解凍するため、検疫や衛生の問題はなかったそうだ。

 寿司職人はほどなくしてJALの機内から消えてしまったが、オーストリア航空とターキッシュエアラインズでは現在でもフライングシェフとよばれる制度があり、コックコートを着たシェフが機内で料理の盛りつけなどを行っている(オーストリア航空では、コロナ後にサービスを中断している)。ファーストクラスにシェフを搭乗させていた中東のエティハド航空もこのサービスを2020年10月に中断している。今後コロナ禍が落ち着いた時点で復活するのか気になるところである。

 一方、機内に調理スタッフを乗せるのではなく、地上の有名レストランのスターシェフとのコラボによって機内食の付加価値を高める動きもある。

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カタール航空ビジネスクラス機内食

 UTAフランス航空は1973年にパリの名店、ル・グラン・ヴェフールのオーナーシェフ、レイモン・オリヴェに機内食のメニュー開発を依頼している。だが、こうした動きが本格化したのは21世紀になってからのことだ。日本では2001年に東京の四谷にある「オテル・ドゥ・ミクニ」のオーナーシェフである三國清三氏がスイス航空の機内食をプロデュースするようになった。

 現在では、著名シェフがプロデュースする機内食は、ファーストクラスやビジネスクラスでは当然のように提供され、エアラインによってはエコノミークラスでも、シェフが監修することがある。