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日本初の機内食は?
日本初の機内食は世界に遅れること12年、1931年に東京航空輸送社という航空会社が提供したものである。東京の鈴ヶ森海岸(大森駅近く)から静岡県の下田を経て清水までを結ぶ4人乗りの愛知式AB1型水上輸送機の機上で、エアガールとよばれるキャビンアテンダントが乗客に軽食や紅茶を出した。このサービスを初めて受けた乗客は小泉又次郎逓信大臣(小泉純一郎元内閣総理大臣の祖父)とその娘の芳江(小泉純一郎の母)、秘書官、記者の4名。エアガールの本山英子は当時19歳だった。
機内食を用意するスペースであるギャレーが備わったのは1937年のことである。これは戦前の傑作機といわれるダグラスDC-3に搭載されたもの。このギャレーにはコーヒーや紅茶などの保温庫が搭載されていたが、食事そのものを温めることはできなかった。
戦後の1958年、パンアメリカン航空を皮切りに機内にオーブンが導入され、ホットミールを楽しむことができるようになった。
1969年に誕生したB747型機に代表されるように、航空機の大型化がすすむにつれ、航空旅行は身近なものとなっていく。だが、見方を変えると短時間に大量の機内食を提供することが求められ、エコノミークラスの機内食は簡素化していくようになる。
その一方、ファーストクラス、1970年代以降導入されるようになったビジネスクラスでは、ロイヤルカスタマーを獲得するため、機内食を含めた機内サービスの進化がすすむようになった。